本

『論集 教会』

ホンとの本

『論集 教会』
東京聖書学院
\2800+
1999.3.

 古書店で見つけた本で、他では手に入るまいと思われるものは購入可能性がでてくる。教会とは何か。東京聖書学院のメンバーが論を連ねているということは、これがホーリネスというプロテスタントの一部ではあるにしても、真剣な問いかけである。かなり本音の部分が論じられていると考え、購入をすぐに決めた。表紙に並ぶ執筆者の中に、千代崎秀雄・小林和夫という名が見えたなら、信頼性も、影響の大きさもなかなかのものであることが分かる。推薦文だけではあるが、村上宣道という名前もあった。
 350頁ほどの中にたっぷりと情熱の詰まったものであり、読み応えがあった。現場のレポートなどではなく、説教者としてある意味で俯瞰して、しかも聖書的根拠を尋ね求めてのものである。理論に過ぎないかもしれない。画餅もあるだろう。だが、その視点から説教が語られているのであるし、大きく構えて論じているのであるから、ひとつ拝聴して然るべきであると理解した。
 この論集シリーズは、ほかに「聖書」「聖化」「聖霊」と、学院が問題としてトピックで他に出ているらしい。私は「教会」を見て、関心をもった。これならば、学院独特の路線というよりも、広くキリスト教会全体で関心の大きい部門であると言えるだろう。
 そこで今回の論集は、千代崎秀雄先生の引退記念として捧げる、という表記から始まった。かつて面白い読み物としてキリスト教入門の本を出し、読みやすくユニークであるとして慕われた人である。その千代崎先生の論文がトップに立つ。「教会の多重性」という題である。著書の親しみやすさとは逆に、実に堅い書きぶりであり、論じ方であった。ただ、教会との出会いという人間のソフトな面が語られるあたりは、読みやすかった。自分が、見えない教会へと導かれる小さな証しが書かれてあったのだ。30頁足らずのスペースに、あらゆる観点から教会たるものの意義を示そうとするため、これは論文というよりは、浅いカタログのようになってしまうことは仕方がなかったが、その地域の教会が独善的になることの愚かさを、見えない教会という視点から指摘しているところには、恐らく自身の牧会や指導の経験に基づくのだろうと推測させるものがあった。ささやかな意識のようだが、この弁えというものは大切なものだと自戒したい。
 続く小林和夫先生のものは、お得意のウェスレーの教会論を紹介するものだった。歴史的なものをよく紹介してくれるし、教会について聖書がどう言っているかもよく押えている。私たちが学ぶのに役立つことは請け合いである。
 本書は20世紀末に刊行されている。私がこれを読んだのはその20年ほど後のことである。情況は変わった。教会の危機感は当時以上のものである。もちろん、当時から予感はされていたし、問題視されていた。少子高齢化社会を迎え、教会の宣教も閉塞的になってきていることは否めず、今後どうなるのかについての懸念は十分にあった。だが、本書にはそうした実際的な場面での議論は殆どなかった。教会の社会的使命はどうなのかとか、パウロの教会論はどうであったかとか、それはそれで大切な話なのだが、置かれた教会の危機感はあまり伝わってこなかった。もちろんそれは、現実の衰退を知りつつ、教会とは本来どうあるべきかという点を押えようという意図があることは分かっている。だが、ここへきて教会成長論というテーマを、過去の西洋の思想の中で辿り解説するということが、どんな力になるのだろうかという疑問は残る。もはや成長論ではなく、滅亡阻止論であり、救済論であるような現実なのだ。それとも、教会は過去の遺物に、もうなってしまったのだろうか。そうなっていたら、戦国武将を研究するように、落ち着いて過去のものとして眺めて構わないものとなるであろう。
 学的な場である。よく分かっている。論ずる場である。それでいい。聖書と歴史の中に問い直すかという、裏表紙に掲げた本書の意義があるから、すべては理に適っている。これを学ぶことで、教会の問題とこれから取り組むという課題のための、叩き台になって然るべきものだというかけ声は、間違ってはいない。
 しかし今、本書がそのような土台になっているのだろうか。もしかすると、出版した満足感だけで終わっていないか。どのくらい販売され、出回っているのかも知らないが、たとえ信徒が半ば義理で購入したとしても、本書が本棚の奥で埃をかぶるだけのものとなってはいないか。いったい、問い直すために用いられているのだろうか。
 もちろん、使われているのかもしれない。東京聖書学院で実際にこれがテキストとして毎年利用されているのだとしたら、私の心配は無用なのだろう。そうあってほしい。
 これだけの厚みのある労力をかけた作品ができた。だが、できただけで満足して終わってはならない。ここからがスタートである。どうか、ここから、それを教会の現場に適用して、あるいは考察し、提案するためのものを見いだして、活かして戴きたい。よいものを作ったのであるならば、声を発してもらいたい。本書を引用して、問いかけてほしい。
 どうぞ、教会のために、そうしてください。教会が実のところ、信徒にとり、生きづらいところになっているという現実と、きちんと向き合ってから、理論を用いて戴きたい。




Takapan
ホンとの本にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります