本

『カリスマ受験講師のすぐ身につく論理力の本』

ホンとの本

『カリスマ受験講師のすぐ身につく論理力の本』
出口汪
三笠書房
\1,000
2003.8

 大学受験者をターゲットにしながら、一般高校生でも大学生でも、あるいは会社員でも、役に立つような書き方をしている。論理をどう捕まえていったらよいのか。文章にある定式的な論理構成とはどういうものか。文章を読んだり書いたりする経験が豊かな人はおそらく自然に身につけているであろうはずのことを、改めてこうレクチャーしてあると、どこか気恥ずかしいような思いがしないでもないが、この本によって、目を開かされる人も少なくないだろう。いや、実際、文章の論理というものを、学生に教えようとなると、案外難しいのだ。どのように教えたらよいのかということについて、この本は分かりやすく伝えているゆえにも、その存在価値をもつというものであろう。
 予備校の講師として有名な人である。語り口そのものもうまい。面白く読ませてもらった。
 ただ、最初のほうで、2003年元旦の朝日新聞の社説を取り上げていたことが気になっていた。これは、「つぶやき」でも取り上げたように、宗教に関する誤解と思いこみをもとに書かれた社説であり、朝日新聞の汚点であるか、さもなくば、朝日新聞の偏向性の象徴となってしまうような文章であった。著者は、これを一つの論理の流れとして紹介している。文章には論理があることを教える本の性格上、それはそれで著者に問題があるわけではないので、私はとりあえず読み飛ばしておいた。
 だが、論理論理と突き詰めて、中には「論理になっていない」とズバリ指摘して、大学入試問題の例文を明快に捌いている部分も少なくないこの本の著者が、終盤において決定的なミスを犯してしまった。
 それは、自分自身が最近感じていることである、という具合に、論理分析に徹するのでなく、思わず自分の心情を露わにした部分においてである。
 139頁から次の頁にわたっての短い部分である。著者はここで「宗教を『レトリック』として考えてみると……」と題した、この本の中で唯一自らの思想を明らかにしている文章を残している。きっと、確信が強まり、どうしても言いたかったことであるに違いない。
 それは、かの朝日新聞の社説と同じ筋の内容であった。キリスト教とユダヤ教とイスラム教は対立しており、それは一神教に原因をもつ、というのである。満月も三日月も、同じ一つの月であるから、神もまた、ひとつなのに様々な姿で人間に現れる。だから、日本の八百万の神の方が論理的なのである。そのようにして一神教も多神教と同じであるわけだから、一神教たちの対立は、人間に論理的思考が欠如した結果起こっているのではないか。著者はこう結んでいる。
 キリスト教とユダヤ教とイスラム教が同じ一つの神を信仰しているという単純な事実をご存じないらしい。同じ神がこの三つの宗教には違った側面から見つめられている、というのなら分かる。しかし、この三つの宗教は、他の神(偶像も含めて)が人間に信じられていることを知っている。だから、月が一つしかないことと、真の神が一つであり、日本の八百万の神もまた真実の神の一つの現れであるということとの間には、直接のつながりはない。八百万の神が真の神であるという論理的な結論は、ここからは生まれない。そこには明らかに論理の飛躍がある。だが、著者はそれをやってしまった。
 それは、著者自身の信仰が現れてしまったのである。八百万の神も天地創造の神と同じだと信じたい、という信仰が。
 宗教に関して知識がないのであれば、それなりの発言をすればいい。私は、専門家でなければ発言してはならないとは思わないし、聖書を読まなければ何も言うななどと言うつもりもない。しかしこの著者は、自分の思想的発言が若い世代に大きな影響力をもつということを考えるなら、この本でわずか2頁ではあるにしても、誤解に基づく偏見を、論理的に正しいというふうな聞こえ方をするような書き方で記すべきではなかった。
 それは、石原東京都知事が子どものように暴言を吐いて涼しい顔をしているのと、近い構造がある。もちろん、あの朝日新聞の年頭の社説も同様である。




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