本

『「ロンリ」の授業』

ホンとの本

『「ロンリ」の授業』
野矢茂樹監修
NHK『ロンリのちから』製作班
三笠書房
\1400+
2019.1.

 NHK、とくにEテレの変貌ぶりが目覚ましい。従来の概念がすっかり変えられてしまった。若い世代がなじめるスタイル、それが変わってしまったのだ。この番組は、その中でもまだ穏健なほうだと思うが、ターゲットはかつては考えられないようなものであるようにも思える。それは、論理を真っ向から考えさせるという明確なその目的のことである。
 論理は基本は、人間自然に身についている。それが分からないというのは、精神的に何か問題があるものという診断を下されることになってしまうのだが、それほどまでに妄想や幻聴めいているかどうかという問いかけではなくて、おそらく主眼は、論理的なごまかしを見抜く知恵や、自らも論理的に無理な要求を他人に対してぶつけないためにも、「筋の通った」言明ということについて、改めて基礎知識を養うというあたりにあるのではないかと思われる。とくに、詐欺から守るためには、この論理への気づきがひとつ大きな力となるのは本当だと言えるだろう。
 本は、番組の設定をそのままに、文字にして、本書だけでも筋が通って読めるようにまとめあげたようなもの。高校の演劇部で脚本を練り上げていく部員の中での会話の中に、論理的に問題がある部分をその都度拾い、その意義を検討する形になっている。本にしたときに、この設定でよかったのかどうかは私にはよく分からないが、番組としてそういう形式になっていて毎回ひとつの話題を提供するというものは、相応しかったのではないかと思われる。
 毎回のテーマとしているものは、至極尤もな論理の基礎である。番組と異なり、本だと多少もどかしくも見えるが、不思議の国のアリスのキャラを使ったコントが締め括るまでに、それなりの解説を加え、分かりやすくなっていると言えるだろう。
 そもそも根拠というものを述べているのか。根拠があったとしても、その強弱というものがあることに気づく必要がある。接続詞がレトリックとなり、騙されてしまうことはないだろうか。別の原因による2つの現象が、あたかも原因と結果であるかのように思わされていないか注意するべきだ。威圧的に言われても、冷静に論理を以て対処したいという、一応の理想的なあり方。事実と意見との混同はないか。こんなことを意識できるように進んでいくと、いつの間にか論理とはどういうものか、考えるようになっていきそうである。
 しかし、もう少し広い視点から気をつけていきたいことにも目を向けさせてくれる。そもそも「問う」ということが何故必要であるのか、も考えてもらう。思考停止を招く呪文というものがあって、雰囲気に流される要素がひとつ明らかにされる。実は受け答えになっていないという議論が、まるで適切であるかのように押し寄せる中でそのおかしさに気づけるようになりたい、という騙されないための知恵のようなものも教えてもらえる。
 それから、これは決定的かもしれないが、「みんな考えが違うんだから、まあいいさ」という妙にまとめられた結論でいつも終わるようなことは、もしかすると互いに相手を尊重しているような平和なあり方のように見えるかもしれないが、それはいけない、という押さえ方を本書は呈する。意見は対立して当然なのだ。それが人間関係の対立でないものとして成立する、本当の議論の成立が必要であるという認識をしたいものである。相手を受け容れることは重要である。しかし、違っていていいねで似非平和を喜ぶのではなくて、互いにその違いを少しでも近づけるように努めることがさらに大切であるという考え方を提案する。私はそこに、近づくというよりも、対話できる関係を保つということを目指してみたらよいのではないかと考えている。近づけないことがあってもよいのだ。だが関係が壊れないような距離感でつながっているという状態は、あるような気がする。いや、なければならないと思う。それ以上の接近は望めないかもしれないが、背反したり争いになったりしない、対話のできる関係の保持。まるで国際社会の会議のようだが、まさにそれである。私たちの時代の平和は、時間的に情報の交換については瞬時に可能になった。だからこそ、ひとたび関係が崩れると、その影響も早く現れかねない。
 そのためにも、まず身近な人との関係がどうであるか、改めて問い直してみるのもよいかと思う。そのために本書は、論理に疎いという人にも親しめる内容となっているかもしれないし、それは高校生がターゲットとなっているかもしれないが、大人も少し鍛えられたらよいのではないだろうか。




Takapan
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