本

『倫理思考トレーニング』

ホンとの本

『倫理思考トレーニング』
伊勢田哲治
ちくま新書1875
\1400+
2025.9.

 本の帯には、大きな文字で「討論の技法」と見える。本の題よりも大きな文字だ。この本の売り上げに、この言葉を以て挑んだのだ。そこにはよく見ると、「「論破」よりも協力的な議論を!」そして「わかりえあない人と話し合うための」という言葉が掲げてある。確かに本書のエッセンスを凝縮した宣伝文句であろう。ではそれが具体的にどういうことであるのか、という点については、もちろん中身を読まなければ分からない。だがそれほどに、現代社会では、「議論」というものが成り立っていないことが問題なのだ。
 それにしても、それだったら、本の題名にも、それを出せばよかったはずである。本として紹介されるときには、「倫理思考トレーニング」という題名しかまず出てこないのである。一体、この題に、どれほどの人が惹きつけられるであろうか。私のような物好きならともかく、一般の人々に、「倫理」という言葉自体が、何も訴えるものがないかもしれないではないか。
 高校の科目として、ようやく「倫理」という語が、青年の耳に入ってくる。だが、この「倫理」を選択する生徒の割合は、10年前の調査では2割程度であったという報告もあるし、高めに見積もっても3分の1いないだろう、という人もいる。しかも、履修した「倫理」は、心理学の一部と、哲学史の看板めいたものくらいである。それらのどこに、「討論」に貢献する要素が期待できるというのだろう。
 などと、説教めいた眼差しに固執するよりは、この本の魅力を教えてほしい、という声が聞こえてきそうである。だが、「倫理」という言葉は、大人社会では非常に重いものとなってくる。ニュースの中でも、「政治倫理」が問われ、その言葉を耳にすると、庶民は、「政治家には倫理がないんだ」という優越感に浸り始めるのがせいぜいのところだ。そして、「倫理」を「道徳」と同じくらいのこととしか考えられない一般の空気の中で、「論破」というような愚かな言葉を放置させておく社会に於いては、「倫理」について何も考えられていないことを暴露しているに等しいことにさえ、気がつかないでいる。
 だから、先ず「倫理」とはどういうことなのか、知っていかなければならない。だから、題にそれを出したのはもちろん悪くない。しかし私は、本書のタイトルかサブタイトルに、著者のもうひとつの柱である、「クリティカル・シンキング」というものを表に出せばよかったのではないか、と考えている。こちらは、一部でだが、近年表に出てきた言葉である。ここになら、食いつく人はかなりたくさんいると言える。
 クリティカル。それは批判という訳語になるかとも思うが、この「批判」がまた日本語の中で不遇な立場に置かれている。それは「非難」ではないのだ。だから「倫理」に於いては、適切な意味での「批判」が伴わなければならないのである。
 本書の特徴としては、著者の考えたSF物語が、すべての章の最初に掲げられることだ。宇宙探査船の中で起こったひとつの場面が描かれ、そこに含まれる倫理的問題を、けっこう堅い形で説明されてゆくのである。ただ、私はその物語にはあまり関心がもてなかったので、けっこういい加減に流し読みばかりしていた。真剣に読んだら、もっと面白く全体が読めたのかもしれない。だが、正直なところ、物語なしでも、本書は読めると思う。せっかく学生の講義のために考えた題材だし、リスペクトはするのだが、物語なしでは到底読めないという代物ではなかった、とは言えるだろうと思う。
 しかし、物語に沿って論じられているのだから、学的に体系的な秩序で論が進んでいるようにも見えない。たとえばカントがその批判書で構築したような、建物を建築するためのような論理的叙述が続いているのではないような気がするのだ。自然主義的思考から、自由意志の問題、善悪の「ものさし」などが次々と取り上げられてゆくのだが、この「ものさし」という概念が登場したときには、注意しておくとよい。それがその後の本書の議論をずっと支配してゆくようになるからだ。他人を測るものさしと、自分を測るものさしと、ひとは別々のものをもっている。目の中に梁があるというのはイエスが山上の説教で指摘した人間の性であるが、恰もベーコンの「イドラ」のように、何かを見て何かを判断するに付けても、私たちは何かと「ものさし」を有しているというわけである。
 だから、何かと議論に勝つために挑んでくるような者も、そうした「ものさし」に囚われているわけである。しかし、その「ものさし」というものについて知っておくことがあるならば、相手の出方や相手の囚われている事情について認識があることになるわけで、対処の仕様がそれぞれにある、というふうに、ここから本領が発揮されるのである。
 つまり、「なぜ意見が食い違うのか」という背景について、考えようとするのである。だから、こちらも「論破」というようなものを目指す必要は全然ない。対立はある。だが、対立しながらも「協力」するという事態を生むことはできるに違いない、というのである。
 著者は「あとがき」の中で、こんなふうに述べている。「立場の対立があるのは仕方ないけれども、せめて、お互いのことを理解した上で意味のある対立をしてほしい、というのが本書の執筆動機となった。」(p438)
 著者の平和を願う思いが伝わってくるような気がした。平和をつくることは、キリスト者にとっては理想の道である。著者の声を、私なりに活かしていきたいと強く願う。なお、それほど多く登場するわけではないが、私が本書の鍵になるのではないか、と感じた言葉がある。それは、最近私がよく耳にする言葉であるが、「すりあわせ」という言葉である。これが効果的に描かれていたアニメが、「義妹生活」だった。ご存じの方は、肯いてくれるかもしれない。
 たいへん分厚い本ではあるが、しっかり聞きとるべきことは、それほど多くはないだろう。頁の角を折ったり、私のようにオレンジ色のラインと黄色いマーカーをところどころ用いて、フィルム附箋を二十数枚貼ったりするようにでもして、自分が学びたいところをマークしておくと、後からまた不意に開きたくなることがあるだろうから、都合が好いのではないかと思われる。




Takapan
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