本

『倫理学入門』

ホンとの本

『倫理学入門』
品川哲彦
中公新書2598
\880+
2020.7.

 副題が「アリストテレスから生殖義樹、AIまで」と付いている。読者としての立場しか知らないから、今回初めて知って「へぇ」と思ったことがある。「あとがき」に書いてあった。中公新書は、出版社の側が、新書の題を決めるのだそうだるしかもこの副題まで、出版社から提示されたのだそうである。販売戦略に基づくものだから、顔がほてる思いをしたものの、そのままの形で執筆したのだという。こんなことをばらしてよいのだろうか。むしろそごか気になる。
 この副題は、ここで掲げる「倫理学」が、伝統的な倫理学をきちんと踏まえて上で、まさに現在進行形の問題について考える基盤を提供しますよ、ということを意味していると言えるだろう。それが販売戦略である。そしてそれに私もまんまと乗ってしまった。
 ただ、「入門」という語が果たしてどうであるか。本書は、決して「ABC」ではない。かなり倫理学について知っているか、または哲学的に考える訓練を受けていないと、読みづらいのではないかと思われる。どだい、「入門」という語が、簡単だと重うと痛い目に遭う。「門に入る」ことである。修行でも弟子入りでも、門に入ってしまえば、基本的にもう出られないという意味合いがある。簡単に出て行くことはできないのである。もう引き下がれないという覚悟でこそ、門を潜る。だから甘いハウツーものであってはならないはずなのだ。
 本書もなかなか手強い。「まえがき」にあるように、まずは「倫理学とは何か」という検討から入る。それはひとの暮らしを扱う。ならば、法・政治・経済・宗教といった世界に関わらざるをえなくなる。もうこの辺りで、広範囲な適用とその基盤とに触れられていくから、読者は心してかからなければならない。ただ、著者は親切であるから、大切な点は幾度も触れ、確認したり振り返ったりしながら進んでいくのて、置いてきぼりをくらう心配は少ないだろう。
 かと思うと、徳倫理学・社会契約論・共感理論・義務倫理学・功利主義というふうに、その名を聞いただけではよく分からず、十分な理解の段階を踏まねばならない倫理学の重要な領域についてオリエンテーションを受けることになる。その都度、倫理学者・哲学者について短い紹介がなされるのがいいと個人的には思う。どんな人物かを垣間見ることによる、「ひと」の生き方の説というものが命を帯びてくるからである。
 倫理というと、抽象的な善や行為を語るものと想像している人がいたかもしれないが、現実の人間の営みについてどうすべきか検討するという意味では、実に実際的であり、具体的である。次に本書は、市場・国家・戦争といった、私たちの生命的生活に多大な影響を与えるテーマに沿って、問題点を挙げる。これは私たちがいまを生きるためにも、即座に問題としなければならないこと、考える必要のあることとして重要である。答えを出すのではない。私たちが何を考えなければならないか、を明らかにするのである。実際世の中の問題の困ったことは、この「何を考えなければならないか」が隠されていること、それに気づかないこと、それに気づこうとしないことなのである。
 だがそれらも、しょせん社会的なものである。もっと自分自身の問題として切実なものがある。「ひととその体」と題した次の章が深刻ではないかと個人的に感じた。「私の体は私である」というごく当たり前のようなテーゼが、本当にそうなのか。医学と医療はいったい何を目指し、何を行っているのか。私と医療との関係の中に、考えてみれば奇妙なことが起こっていないか。またそれは歴史的にどのように改められてきたのか。たとえば「死ぬ権利」というものがあるのか。これは、重い病気の人が自死を選ぶ際、自分ではどうにもできないので、嘱託をしたということで社会問題化すらすることがある。ここには「自分の体は私である」ということの正しさが問われていると言えるのである。生命倫理は、科学的な操作ができるようになったからこその問題ではあるが、ひとをモノとして扱うことにならないか、道具として利用してよいのか、といった従来の伝統的な道徳との関係も取り沙汰される中で、視点はさらに子どもの権利、また未来の人類に対する責任といった問題にも及ぶ。これらは比較的新しい問題であるが、深刻である。
 最後のほうで、「対ひと」に限られない視野が提供される。「自然」という名が相応しいかどうかは擱くとして、自然に対する責任について、またAIを使う場合の責任についての問題を問う。たとえば「対ひと」であれば、財としての土地のやりとりや賠償で解決するだろう。だが、その土地で生態系が崩れるとしたら、あるいはそこに住む動植物を破壊するとしたら、かつての倫理観だけでは賄えなくなるのである。
 ユニークなのは、「星界からの客人との対話」である。地球をよく知り、地球人以上の文明をもつ異星人が、侵略目的でなく、友好的に、人類に対して呼びかけるのだ。このままでは地球が成り立ち行かないから自分たちの知恵を聞き入れないかと声をかけてくる。地球の代表者たちがこれと交渉をする、というひとつの思考実験の戯曲である。これは直にお読み戴きたい。それは、倫理の観点をどこにつくるのか、一筋縄ではいかない倫理問題を止揚していく中で捉えていこうとする、著者独自の試みであった。
 しかしこの宇宙人は、神の立場として地球に忠告してきたのではない。ただ友好的な存在として、地球人の「他者」の立場を具現しており、彼らが誠実であるのは、彼らもまた自分たちを超越した存在者を思い浮かべているが故なのだという。こうして、私たちの倫理の声は、私たちの「外から」くる。従来の倫理思想も、原理たるもの、事態を変えるものは、人間の「外から」、私たちの「外から」呼びかけるものとして現れてきたことに著者は気づく。その中で、私たちは倫理的にそれでよいのかよくないのか、問われていることになる。
 しかし彼らは、それを安易に「神」と呼ぶことについては首を縦に振らない。そして言う。「「神も自分たちと同じようにお考えにちがいないから、こうしてもいいんだ」と思い込んで、自分の思うがままに、したい放題にふるまうことになりかねませんからね。」
 この意味するところが分からない信仰者は、いないはずだ。もしいたとしたら、まさにこれをやっている人ではないかと私は恐れる。
 これは余談だが、初版の231頁に、珍しい誤植がある。6行目だが、上半分にある14文字が、そっくりそのままもう一回繰り返されているのである。私も多くの本に目を通しているが、この類の誤りは見た記憶がない。




Takapan
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