本

『おもしろ理科こばなし』

ホンとの本

『おもしろ理科こばなし』
宮内主斗
星の環会
\1,200
2004.3

 私はシリーズで2冊を見た。「1 ものの世界55話」「2 宇宙と生きものの世界55話」である。どちらも価格その他は共通である。
 小学校高学年から中学生に読んでほしいと前書きにある。ふりがなが、その配慮で付けてある。だが、大人が読んで十分耐えうる内容であることは保証する。それは、子どもの疑問に答えるためのハウツーと考えるのもよいが、いやいや、改めてそういうことか、へぇ〜と思わせられるという意味でも、そうなのである。
 どうして水は100度で沸騰するのだろう。肌はどうして弱酸性なのだろう。金属とは何だろう。そんな疑問への答えは、ついつい見入ってしまう。「1」はこうした物理化学の問題に加え、予言は当たるのか、占いや血液型の問題、死んだらどうなるなど、哲学的・宗教的な範囲にまで科学の眼差しで及ぼうとしている。
 他方「2」では、生き物の定義の問題から入る。これがなかなか難しい。ガソリンを入れて走るバイクと比べると、生き物の説明が実に曖昧であることに気づかされるのである。また、チューリップの実とは何だろうと問われると答えられなくなるし、ペンギンはどうして鳥だと言えるのかという問題にも、うまく答えられないことに気づく。こんな話からやがて、ブナの森の大切さや川と山との関係、地球の構造を知るように促され、宇宙人や心の存在についても疑問が及ぶ。そして最後に、勉強する理由は何だろうと共に考えていくようになって、この本が、ただの物知りを目指すためのものではなくて、真の教育を目的としていることがはっきりする。
 科学離れが叫ばれて久しいが、科学というものは、実は簡単な理屈である。簡単と言うのは語弊があるかもしれないが、たとえば社会の動きや人の心の扱いは、実に難しい。理屈で片づけられず、結果を予測することもできない。だから政治なり経済なりが、人知の限りを集めても成功しないのであるし、恋愛や人間関係が思うようにいかないのである。それに比べると、科学は明解である。たしかに解決できない問題は沢山あるが、それらも観察できることとして、調査研究可能なこととして、目の前にあるといえるのだ。
 では、なぜ科学離れなのか。それは、理屈を自ら考えることをしなくなったからだ。誰か考えることが好きな人だけがいろいろなことを考えればよいのであって、その人の考えを、へぇそうか、と聞けば事足りるような世の中になってきているのだ。自ら考えることをやめてしまえば、どんな恐ろしい世界になっていくか、それにさえも気づかないで、考えることをやめていく、また、考えることをしなくても生活していけるようになっている――だからこそ、この本は、子どもたちに自ら考えることをさせようと努めているのではないか。
 こうなると、塾というのは、それとは逆のことをしている集団であるのかもしれない。せめて、そうではないように、と私は思いたいが……。




Takapan
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