本

『理解という名の愛がほしい』

ホンとの本

『理解という名の愛がほしい』
山田ズーニー
河出書房新社
\1365
2006.3

 ベネッセにて小論文の指導を勤めた後、独立したという著者。そのあたりの経緯は、私自身よく知らないということで、詳述は避けたい。誤解があってはいけないからだ。  ともかく、これは一風変わった本である。
 メルマガ連載をまとめた本というのが、ぼちぼち出回ってきているわけだが、これは、小論文教室というタイトルが、「おとなの」付きで輝いている本にもなっており、そのメルマガから編集された内容となっているという。
 明らかに、通常の本とは異質である。文体も、見た目も。意味を解しにくいシチュエーションというのもあるわけだが、まさにメール的改行により、すっきりした文面となっていて、読みやすいと言えば読みやすい。
 ところが、小論文というタイトルから期待すると、失望する。いや、期待以上で楽しめると言った方がよいのだろうか。これは、言葉を発するということについての様々な場面での注意と、発された言葉をどう了解すればよいかについての知恵が述べられているように見受けられる。
 つまりは、言葉という媒介を通しての、心の通わせ方なのである。
 そこには、切れ味のよい解決方法など、ない。メルマガ独特の、ちまちま述べてどうなんだろうかみたいなふらつき方が感じられる。だが、それが一概に悪いとは言えない。そのゆらぎを目の前にして、読者は自分の考えというものを構築していくことができる。著者の英断に惑わされず、やたら反抗だけで終わらず、そしてまた、著者の投げた球に応じて何か打ち返さなければという気持ちがやたら沸き起こるような、読書となりうるのである。
 著者の、繊細な体験話が続く中、自分も、言葉というものを大切にして、人と心を通い合わせることができるようになりたい、と願い、動き始めるような本なのである。
 だから、やっぱりなんとも不思議な本であった、という思いに包まれる。




Takapan
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