本

『レッツもよみます』

ホンとの本

『レッツもよみます』
ひこ・田中さく・ヨシタケシンスケえ
講談社
\1300+
2022.2.

 表紙のヨシタケシンスケの絵が与えるインパクトは、ただものではない。なにげないけれど、毒との絵である。タイトルもまた、ヨシタケシンスケが付けそうなコピーであるが、これは他の人の作品である。確かに、読んでみると、ヨシタケシンスケのものとは確かに違う。
 絵本であり、殆どがひらがなである。わずかな漢字にもふりがなが打ってあり、小学校低学年でも読めるはずだ。
 だが、内容は、けっこうきついものがある。
 絵本だと、同じ事の繰り返しがあるか、または、次々といろいろなことが起こるか、そこに子どもたちの関心を引き込む秘密がひとつあるような気がする。だがここでは、同じような事態の中で、少しずつ変化して深まっていくようなところがあり、小さな子どもたちにはやや把握が難しいかもしれないように感じた。つまり、どこがどのように進展しているのか、理解ができるかどうか、瀬戸際にあるように思えたのだ。
 例によって、文学作品は内容を全部ここでご紹介するつもりはない。ただテーマに則して言うと、とうさんに絵本を読んでもっていたレッツという子が、ふと疑問に思い始めるのである。果たして絵本を読んでもらう、それでよいのだろうか、と。レッツは、物事を考えるとき、トイレに入る。そこが考える場所として相応しいことを、教えてくれたのはとうさんであった。
 レッツは、絵本の読み聞かせという現場に、少しずつ疑問を覚え始め、その都度親にああだこうだと理屈をぶつける。
 自己のアイデンティティの確立というテーマも、中に隠れているかもしれない。それぞれの感じ方や立場などについて、小さな子が自覚するよう芽生える姿が、ここに描かれているのだろうか。
 最後には『サンタクロースはこわくない』を一人で読もうとする。レッツはそのことで、とうさんとかあさんに褒められる。ただ、そのことについて、レッツは自己認識を果たしていない。子どもの成長を描いてはいるが、子どもはまだ完成はしていない。ただ、確実に、ひとつの壁を超えた印象を与える。正反の桎梏を超えて、合の領域に、ひとつ入ったような気分だ。
 子どもの目線から不思議に思うこと、それを堂々と話の中に置いておく。そういう見方があるのか、きっとそうだ。読者が大人である場合、そんなふうに頭を掻く場面があったかもしれない。
 ヨシタケシンスケの文章だったら、もっとシンプルで、何を言っているのかが鮮明に突きつけられる気がするが、本作の場合は、やはり文字面の奥を考えさせるような雰囲気が最後まで続いた。子どもには、もう少し、すっきりしない読後感があるかもしれない。だが、読書という領域にあるものは、また本を読めば、考える機会が与えられる。幾度も触れ直して、本作の隅々にある小さな、しかし大切な配慮に、ピンとくるようなことがあるのではないかと思う。
 それにしても、これほどに本が好きで、本に集中するレッツという子は、なんとすばらしいのだろう。そのレッツが自分で本を読もうとする、という本については、さて、小さな子どもたちは、この作品を、読み聞かせてもらうのだろうか、それとも自分で読むのだろうか。その子によるのだろうけれども、そこのところを問題視すると、非常に悩ましい思いに襲われるのであった。




Takapan
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