本

『宗教に関心がなければいけないのか』

ホンとの本

『宗教に関心がなければいけないのか』
小谷野敦
ちくま新書1170/
\760+
2016.2.

 テーマはひじょうに興味をそそる。それで、店頭で見て即レジに持っていった。
 かなり過激な言い方が続くので、心優しい人には耐えられないかもしれないが、私のような者はけっこう冷静に読んでいくタイプなので、有用な指摘やアイディアについては傾聴するという姿勢で最後まで辿っていった。
 宗教は一般に関心がないように見られている。それを著者は、むしろ関心がありすぎるのだから、関心がないということにしたいけれども、どうも世間はそうではない、みたいな方を向いているように見えた。それが面白いと思ったのだ。
 特定の宗教を信仰している、とは言いにくい雰囲気が現代日本にはある。宗教にかぶれるのはまずいとか、のぼせないほうがよいとか、ほどほどなら薬となるが飲み過ぎると体と人生を破壊する酒のような扱いを受けているようなものである。そこでまた、宗教から意識的に背を向けているという人々もいるはずではある。無神論だから、と口では言いつつも、困ったときは手を合わせるなどする、そういう標準的な精神に対して、著者ならどう言うだろうか。もっと首尾一貫しろ、と言うかもしれない。
 内容は、理論的というよりも、自分の生い立ちを辿り示すことによって、経験的な立場から意見を綴るという形式に近い。今回はその宗教という観点であるが、自分がどのように宗教に関わってきたかが、具に語られる。ただ、それが理路整然と綴られているわけではないことに、読んでいてすぐに気づく。ある意見を述べたかと言うと、自らそれを否定するような経験を語り、それが結論かと思いきや、また元に戻るかのように、いわば振り回されながら読んでいく感じがする。もちろん、一定の首尾一貫した方向性はあるわけで、それがやはりこのタイトルに示されているものであるだろうから、迷わされることはないのだが、それにしても様々な遍歴がそこに記されていることで、読者は驚きの中で字を追うことになる。
 著者は、比較文学論を主軸としてものを考える人のようである。だから途中で、文学と宗教の関係を語り、なかなか厚みのある議論を提供している。そして、文学でも共通のテーマであるのだろうが、善悪の問題や道徳観、そして生死という問題を扱う。果たして宗教をどうしても取り扱わなければならないのだろうか、という気持ちが伝わってくる。そして、宗教というものは、結局組織的なものであるという点で、それを必要としない生き方があるのだというふうに語る。これは逆説めいている。宗教はきわめて個人的な問題、個人的な救いや平安ということのように受け取られがちだが、著者はむしろ、それは組織となっていくものであるという。そして自分は、個人主義を徹底している立場であるがゆえに、宗教世界には熬らなくてもよかったのだ、と言っているように見える。
 もとより、著者は、実に様々な宗教の体験をしている。単に、自分が宗教に関心がないために、外からそれを必要と眺めているというわけではないのだ。むしろ、あらゆる場面で宗教に触れ、そのグループに加わり、また時に洗礼を受けてよいと思うほどにまで近づいておきながら、結局のところそうはしなかったというような経験をもっているのである。従って、宗教の実態を知らないなどということはない。理論的にも、体験的にも、宗教には実に深い関心をもってここまで歩んでおり、それをいわば止揚してのこの立場だと思うのである。
 その意味で、関心がなければいけないのか、という問いについても、どうやら、著者がたいへん関心をもってきたということについては否めないのではないかと思う。興味が十分あったからこそ、ここまで論ずることができたのである。そこは押さえておきたい。
 ただ、読みながら、通常の著作を読んでいるような気がしなかったのは事実である。何か、落ち着かない。身近なところで、理知的ではあるのだが、精神的に不安定な人の言動を見聞きしているので、それと何か共通するものを感じないではいられなかった。これを単純に病だなどと言うつもりはないが、何らかの傾向性をもっているタイプの人であるのかな、という気はした。その点を弁えて読めば、たいへん参考になる。つまり私のような者は、そういう不安定さを経験した上で、聖書を通して神と出会うという道を歩んできたのだ。だから聖書や信仰にどうして人々が反応を示さないのだろうかという点での関心があり、そのいくつかの背景についてはこれまでも他のいろいろな本で指摘を受けてきたわけだが、こうしてまた新たな視点を提供してもらえると、たいへんうれしく思うのである。著者は、一種特殊な観点をもっているかもしれない。しかし、何かしら同じ日本社会を生きる日本人としては、共感するところをもっている人は多いのかもしれないと思う。とくにいろいろな実体験をレポートしてくれているので、様々な場面でどう考え、何を見ているのか、という点は面白く拝見させて戴いた。
 宗教に関心がなければいけないのか、という問い自体、曖昧な部分があるが、著者の体験を聞く限り、そう問いつつも関心があるのが宗教というものではないのだろうか、という気もする。確かに、宗教団体に関心がなければならないか、というと、そういうことはない、と言いたい気持ちは同じなのであるが。




Takapan
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