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『宗教の哲学』

ホンとの本

『宗教の哲学』
ジョン・ヒック
間瀬啓允・稲垣久和訳
ちくま学芸文庫
\1350+
2019.12.

 近年哲学や宗教学の現場でよく用いられている教科書なのだという。大学生向けと言えば確かにそうなのであるが、水準は高い。ジョン・ヒックと聞けば、当然「宗教多元論」という言葉が浮かんでくる。重要な提言をした人として記憶されるべきだし、またその論点がさらなる議論を起こし、検討すべき課題を与えてくれたことを感謝すべきだろう。信仰篤い人々からは非常なる非難を浴びたと思われるが、キリスト教が他の宗教を排他することに批判の目を向け、あらゆる宗教の中に意義を見出していく姿勢は、グローバルな時代には必要な観点ではなかったかと思われる。もはやキリスト教が独善であるということで成り立つ世界ではないのである。
 そのヒックが、宗教を論ずる。本書は、まずそのことの意味から入る。これは宗教の教義を示すような場ではない、哲学なのだ、ということの意味を読者に認知させる。とはいえ、キリスト教文化圏におけるテキストである。聖書の神観から入るのが読者には親切というものであろう。こうした意味でヒックは必ずしもキリスト教を他と同一の地平に置いているのではないという見方も可能であろう。やはりその意義は著者を含め、その読者の多くにとって、共通の地盤にあるのである。
 ここでその議論や粗筋をまとめるというつもりはない。本書が何を扱っていたかについてお知らせするのがせいぜいだ。実はキリスト教という特殊な世界の内容にはこの最初のほうで充分であるというような感じで、間もなく「神の存在」についての議論に突入する。神の存在証明というものだ。私などは、カントがそれについてアンチノミーに陥るとして理性批判したところが入口だったから、決してトマス・アクィナスのように論理の限りを尽くして構築していこうなどという気にはならないのであるが、宗教を哲学するにあたり、この神の存在証明は丁寧に扱っておかなければならないはずではある。本書の大きな注目点は、この扱いではないかと思われる。それはまた、反論も丁寧に扱っているということを含めてのものである。そのために、社会学やフロイト、また近代科学という視点を持ちこむのである。それはかつて哲学が神学のはしためであったような時代では考えられないことである。神学が哲学に仕えるどころの話ではない。分科学のそれぞれに従属してしまうかのような扱いなのである。神学はいったいどうなってしまったのか。案外そこのところに、いまの時代の神を扱う問題が根付いているのかもしれない。
 テーマはそこから、悪の問題を、神義論という観点から説き、掲示と信仰という、宗教の根拠となるような事柄を扱う。しかしその底流に何かしらこの神の事柄についての証明はどうなるのかという問いは流れており、あくまでこれが宗教の哲学であるという立場は崩さない。このとき、合理的な基礎付けについて言及する箇所があるが、分析哲学をも感じさせるような、論証の手続きが問われることになる。それは、宗教を語ることばとはどういうことか、という方向でも問われなければならない。そして検証の可能性という、本書のひとつのウリにつながっていく。つまり、従来の神の存在証明というものは使えないのだけれども、別の観点から神について言及できる根拠があるはずだということである。ひとは、神を信じて生きているそのとき、宗教において理に適ったものを確かに有しているのである。ある意味ではそれが神の存在証明を生きているということであるのかもしれない。但し、それを言い始めると、もはやキリスト教が特権的な地位に構えることができなくなり、確かに宗教多元主義の基礎固めとなるであろうことも容易に想像できる。
 こうして宗教多元主義の観点が現れ、魂の不死やよみがえりについて、またそうなるとカルマという意味での生まれかわりということも扱われるに至り、本書がインド思想で幕を閉じるというのは、やや意外な印象を受けるものの、ヒックの方向性を暗示するものとしては充分であったのかもしれない。インドの多神は、多元論の活動しやすい領域であるだろうからである。
 神は多くの名前をもつ。原著をまだ読む機会に恵まれていないが、近いうちに手に取ろうかと思う。ヒックの著者は、思っていたよりも邦訳が多いことがこの本の解説で分かった。私はキリスト教の立場で生きている。それなりの信仰がそこにある。しかし、だからと行って他の宗教を信じている人を即座に軽蔑したり見下したりするような気持ちにはさらさらなれない。それを殊更に擁護はしないが、人間としてそのような真似はできないという考えである。新ファリサイ主義がはびこり、その病状は自分では気づかないままに感染していく性質があると考える。それを予防するためにも、ヒックの立場は免疫を身につけさせてくれるものではないかとも思う。物事を原理的に考えるひとつの契機として、学生ならずとも、読み応えのある本書が文庫で持ち運び読めるというのは、有り難いものである。確かに大学生に向けられているというのは、適切なことであるのではないかと思えるものである。




Takapan
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