本

『宗教からアメリカ社会を知るための48章』

ホンとの本

『宗教からアメリカ社会を知るための48章』
上坂昇
明石書店
\2000+
2023.2.

 世界各国、に限らず、たとえば地中海とかクルド人とか、韓国文学とかNATOとか、世界を知るためのシリーズが発行されている。アメリカについても、ニューヨークから見たり、カリフォルニアから見たりすると、視点が違うだろう。この「宗教から」というのが2023年に出て、私にとっては興味深い話題で、すぐに手を出した。
 当然、それはキリスト教が主体となる。著者自身は信徒ではないと最後に書いてあった。アメリカ大使館での働きもあり、とにかくアメリカについて様々な角度からご存じの方であるようだ。キリスト教についても、アメリカ社会における情況を実に多様に、また的確に伝えてくれている。文章も読みやすいし、知りたいところがズバリ指摘されていると思うし、なかなかの良本であった。
 トランプ元大統領については、そうとうに批判的である。それも当然だとは思うが、どうしてアメリカ社会はこの人物を担ぐのか、それは本書の大きな動機になっているような気がする。もしもこの人物が二期目を務めることになったら、もうアメリカ研究は止めるつもりだった、ともいう。そんなアメリカには見切りをつける、ということらしい。本書でも、トランプが支持された背景をなんとか知りたい、説明したいということで、それが読者に生き生きと伝わってくるのが、皮肉なことに本書を魅力的にしたと言えるかもしれない。
 本書の狙いが最初に書かれている。「世界一の科学大国」アメリカを宗教的側面から歴史を見直し、他に類を見ないほど奇妙な国の成り立ちと国民を知ることである。
 先走りして申し訳ないが、私は同時に『亜宗教 オカルト、スピリチュアル、疑似科学から陰謀論まで』(中村圭志・集英社)を読んでいた。ここに挙げられるのはアメリカ人だけではないが、特にアメリカ人が如何にこれらの怪しい思想に熱中する理由や背景が分析されている。そのため、この本と、アメリカ社会を知るための本書とを重ねて読んでいた私には、精神的なものと社会的なものとが実に効果的に重なってきて、なるほどと唸るところが多かった。邪道かもしれないが、この2冊を並行して読むというのは、偶然に分かったことだが、たいへん有意義であるので、お伝えしておこうかと思う。
 このシリーズでも、アメリカを知るためのものは何冊も出ているけれども、宗教という視点を欠いては、人間の精神性からの分析ができないのではないか、と思う。どんな政治制度も、社会思想も、精神的なものが形作ったり、方向付けたりする。宗教ですべてを説明できる、とするのは傲慢かもしれないが、宗教は信念に関わる故に、宗教を無視してアメリカの何かを理解できるのだ、とすることは、やはり無理だと思う。キリスト教だけではないが、社会の主軸は間違いなくキリスト教である。聖書に基づいて、これまでの歴史を見渡し、いまとこれからに視線を向けることは、有意義なアメリカ理解へとつながるに違いない。
 堅苦しく歴史を繙くようなことはしない。つねにホットな話題である。人口の9割が神を信じているという調査、それが月に人を飛ばし、地上で最強の武器を生み出すような科学をもたらす。なんともミスマッチな文明ではないだろうか。
 教会や信仰というものは、近代から現代になるにつれ、凋落の一途を辿ると言われている。教会に足を運び、聖書を読む週刊があるというのは、もうヨーロッパでは珍しい存在へと成り下がりつつあるのだが、アメリカはまだ勢いが強い。その精神性は、キリスト教に限定せず、ユダヤ教やモルモン教、イスラム教やヒンドゥー教にまで本書はちゃんと目を配っており、社会への影響を鑑みている。
 大きなチャーチも具体的に言及しているが、教会がどうコミュニティとして機能しているか、という点については指摘する機会が本書にはなかったように見えた。家庭という私的な空間と、企業や大きな社会といった公的すぎる大規模の空間との間に、教会というのは、適度な規模のコミュニティを形成しており、社会的な立場のためにも一定の役割をアメリカでは果たしている、というようなことを聞いたことがある。しかしそれを語り始めると、社会学の領域に浸っていくことになるかもしれない。本書はアメリカにおける現実の出来事を位置づけていくことへと走ってゆく。
 まずは従来の歴史の中でのことだ。新大陸時代からの歴史を振り返り、やはり意義が大きかった南北戦争については、捉えておかなければならない視点があることを告げる。
 宗教的な問題としては、進化論と創造科学との軋轢について触れなければならない。どうしてああも頑固な面々がいるのか。そのような宗教的こだわりが、多様性の時代にどう展開していくのか。あのトランプの騒動に、クリスチャンも暴力的に加わることさえあったし、教会グループとしてトランプを支持したというのはどういうわけなのか。そのような点にも考察を深める。
 原子爆弾をアメリカ人はどう捉えているのか。かつても言われたことがあるが、歴史を経ると、昔とは少しばかり様相が変わっているらしい。また、宗教という点では、アーミッシュやクエーカーの存在は、平和主義と呼んでよいかどうかも私は知らないが、アメリカの一部の信仰を強力に証ししていることになるだろう。
 近年は特に、性的マイノリティの問題が大きく扱われている。聖書への信仰が、彼らを迫害してきたのは事実だ。また、一見自由と平等を重んじているように見せかけておきながらも、実は強烈に反発しているという事情もあるらしい。まだ課題は多いのだ。ここで、聖書にこの問題に関することがどのように記されているのか、をコラム形式だが紹介してくれたのは、読者にとりよかったと思う。いったい聖書には何と書いてあるのか。聖書を開いたことがないような人々に、聖書を示すことなしに、アメリカの宗教的側面を知ってもらうことはできないだろうと思われる。
 また、これも選挙のときに大きく扱われるが、人工妊娠中絶の問題がある。聖書に基づいて意見が分かれるのだ。それで、政党の支持や大統領への投票が変わってくるのだ。聖書に基づいて、という信念をもちながら、あくまでも反対する保守的なグループもあれば、聖書をどう解釈するかの問題として、思いやりや人権などにも心を向けながら対応するグループもある。と同時に、いわゆる尊厳死というような問題もある。自殺した人を教会はどう扱ってきたのか、またいまどうなっているのか、そんなことにも触れていく。こうした点について考察するためには、やはりどうしても宗教という窓を通してでなければ、難しいだろう。本書の存在意義が、こうして強くできてくる。
 そしてこの時期に本書が記されたもうひとつの意義が、最終章に待っている。新型コロナウイルス感染症に対して、宗教的観点から、あるいは宗教的心理から、どのように考えるか。そう、これは日本においてもそうであったし、災害のときにもそうなのだが、神の裁きや天罰のように演説する者たちが必ず現れる。疫病についての検討は、今後起こす様々な思想において、必ず重要な視点となるであろう。
 気候変動も、同様に大いなる課題である。それは、未来の人間に対する責任や罪といった考え方にも関係するはずだが、本書はそこまで深めていくゆとりはなかった。最後のほうは、頁数のことも考えられてだとは思うが、次々と端折って概観するようなところが強く、少しもったいないような気がした。聖書そのものをどう位置づけるか、ということにも、いくつかの観点が「章」を形成していたが、青森のキリスト伝説のことは、アメリカとは直接関係はなかったかもしれない。しかし、陰謀説は、人間は大好きである。そのために不条理に傷つく人が多々現れるのだが、根強い偏見であり、勘違いである。イエスを白人のように描くことや、異教徒に対してもクリスマスを押しつけるようなことが、近年改善されているのは、よいことであるだろう。聖書の言葉や絵画をタトゥーにすることには、けっこう詳しく立ち入って紹介していたのが印象的だった。
 あれこれと記してきたが、本書の優れたところを最後に付け加える。内容はもちろんだが、参考文献と索引の頁をつくっていることである。索引を略する動きが世間にはあるが、これがあるだけで、本の価値は大いに変わってくる。後で見返してほしいという熱意であるかもしれないが、利用者にとっては、索引は、その本とつながる糸となる。
 また数年後には、内容を一部時代に合わせて改訂して、いつまでもよい情報をもたらしていてほしいものだ。




Takapan
ホンとの本にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります