『歴史哲学と価値の問題』
アルフレッド・スターン
細谷貞雄・船橋弘・小林一郎訳
岩波書店
\650
1966.7.
社会科は、苦手だった。中学のとき、ひたすら書いて書いて書きまくるという教材を買ってもらった。これが功を奏した。日本の歴史に自信がもてた。
歴史を含み、「社会科」という教科について私は、「ひとが仲良くするための学習」だと位置づけて教えている。自分の、また他者の、住む環境や文化、歴史や政治を理解することは、互いに仲良くするための知識であり知恵である、と考えるのだ。
哲学という総合的な呼び方をする中にも、その方面に特化した部門がある。本書は、人が「歴史」と呼ぶものについて、それをどう捉えればよいのか、著者がそれこそ歴史哲学の歴史を通じて自らと対話するように考察したものであり、400頁を超えるなかなかの力作である。
ユニークなことに、本書には「日本語訳のための序文」というものが初めに掲げられている。それは、「小さな哲学的自叙伝」というサブタイトルが付いているように、著者が自己紹介をするものである。どうやら訳者が依頼したらしい。最後の「訳者あとがき」では「短い」と記してあるが、10頁を超える、ちょっとした読み物となっている。それによると、実に多彩な人であるらしい。哲学はもちろんのこと、化学と物理を深く研究したらしい。このことは、実は本書の結論に大きく影響していることが後で分かる。
また、生まれはウィーン郊外のバーデンであり、19世紀の終わりに滑り込むようにしてこの世に現れた。ところがその学的生活は、ヒトラーの出現で大きな変化を受ける。フランス語文化圏への移動をやむなく受け容れ、その後メキシコへ逃れ、スペイン語での生活を送ったが、健康上の理由からアメリカに渡る。今度は英語へ切り換えなければ鳴らなくなった。これはいささか苦労したようである。
二つの世界大戦を経験し、核戦争の脅威を間近に見てきたことが、歴史哲学への深まりへと結実し、特に「価値」という問題での不安感が、自身の大きなテーマとなっていったようである。
本書はすべての章を「歴史」という語が加わる形で展開する。「新しい歴史感覚」「歴史的現実」「歴史哲学の起源と目標」「歴史的認識」「歴史認識と価値」「歴史主義・自然法・価値」「歴史主義の限界」そして「歴史的投企と価値」となって結ばれる。
議論は、できるかぎり多様な思想を客観的に並べるようにして検討される形で、読者はいまどこに自分が置かれているのかが分かりやすいようになっている。思想家の名前を挙げると、その説について、まるで私たちが教科書で学ぶときのように、ひとまとまりの説明がなされるのだ。これの繰り返しである。著者の叙述は、読者にとり親切な案内のようだと思う。
さらに、他の思想家たちに対して、「私は」どう思うか、それを随所で明確にする。これもまた、読者にとりありがたい。書物での論述においては、いつの間にか著者の価値判断が紛れ込み、他の思想家がどう考えあるいは批判したのか、という記述が曖昧になることがよくある。私は読解力に乏しいので、そうなると、そこに書かれてあることが誰の考えであるのかを、しばしば見失ってしまう。もちろんよく読めば分かるのだろうが、上滑りで読む者にとっては、著者を含めて誰が誰にどう考えているのか、掴めないことがよくあるのだ。しかし、本書の著者は実にはっきりしている。「私は」という形で出してくる訳者の力量によるのもあるだろうが、思想家の紹介の後に、自分はこういう観点からこう考える、という点を、誤解されることがないように示すのである。つまり、国語で学ぶ基本の、「事実と意見」とをはっきりと書き分けるのである。読者は実に助かる。このような姿勢から学ばなければならないと思う。
論の特色は、やはりその化学や物理を究めていることからしても推測できるように、科学思想を適切に押さえており、その価値観を偏見なしに評価できることである。また、それだからこそ、上に挙げたように、明晰に論を展開することができるのかもしれない。
もちろん、哲学をも修めているわけで、古代から近現代にわたるまで、思想家とその歴史観について、十分詳しく書かれている。そのため、歴史という分野に関わるものであるとはいえ、これは哲学史のよい教科書として見ることもできると思う。すでに頁が膨れ上がっているために無理は言えないが、「索引」が付いていたら、どんなにさらに利用しやすいだろう、とも思った。
かつて宗教が社会を支配しているような時代があった。だがそれは終わりを告げた。人間は、ある意味で指針をなくしたのである。だから、歴史の原理というものを見失ったのは事実である。人間自身を称えよ、というヒューマニズム思想も、単純には支持できない。その人間がつくりだした現実のこの戦争を、支持することはできないからである。
歴史が今後支えとすべき基礎は何か。これまでの思想では十分ではなかった。だが、何か指針が欲しい。それは、人間にとり普遍的な基本、そして願いだと見る。それは「生きる」ということだ、と著者は確信する。そのために、より普遍的に貢献できるものは、「科学」であるのだという。ここが、哲学と科学とを修めた著者の強みである。
しかし、科学が戦争を悲惨なものにした面が確かにある。それは、科学は純粋でよいものであるが、それを利用した人間の問題なのだ、という議論もあるだろう。著者は、その点をここで挙げてはいない。これは科学自体が含みもつものなのか、それとも本当に科学は善であり、用いる人間だけの責任であるのか。本書からは、それは出てこない。即ち、それはもはや歴史哲学の領域ではなくて、科学哲学に属する範疇にある問題となるであろう。歴史哲学は、科学哲学へと展開してゆくべきものであるのかどうか、それは分からないが、検討する価値はあるのではないか。こうして、価値の問題は、ひとつまたメタ領域に進むようになる可能性をもっている。

た
か
ぱ
ん
ワ
イ
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