本

『羅城門の怪』

ホンとの本

『羅城門の怪』
志村有弘
角川選書360
\1,400
2004.2

 副題に「異界往来伝奇譚」とある。陰陽師のヒットにより、古代の妖怪変化に対する関心が強まっているが、そうした響きのある世界に感心をもつ著者が、その知識を溢れんばかりに発揮して、資料の中より京の羅城門にまつわる話を集め、その描かれ方をまとめあげた力作である。
 たしかに、どうしても芥川の『羅生門』がイメージに先立ってくる。しかし、もともと朱雀大路の南端に位置する京城の門としての羅城門は、必ずしも芥川だけのものではない。むしろ私たちが、芥川に影響されすぎていると言わざるをえない。たしかに、亡骸が捨ててあるというような風景はあったらしいし、そこから鬼がいるとか妖怪がとかいう話になってきた。芥川龍之介も、そこからヒントを得て、自分の解釈で一つの世界を創り上げたわけである。
 著者は、歴史を縦横に利用して、羅城門にまつわる人々の豊かな想像力を披露する。酒呑童子や一条戻橋のあたりから説かれ、朱雀門の鬼について、さらに井戸や橋など、異界との境界にあるようなものについての記述をまとめあげていく。そのとき、天狗とは何かにまで触れていくのだから、奥が深い。
 手塚治虫の『火の鳥』は私の愛するマンガの一つであるが、その中にも、こうした異界が描かれている。八百比丘尼の話はまさに直接にそれを描いていたが、その背景が、最後の「太陽編」で明らかになる。日本に元来いた土着の霊や神たちが、政治目的に取り入れられた仏教という宗教に追い散らされ、断たれていく段階の争いがそこに描かれているのである。
 それは、しばしば右派はたはた左派が都合のよいように取り出して利用する、アニミズムの考えと重なるところがあるにも拘わらず、現代の利用者が意図しているのとはまた違うことも否応なしに感じさせてくれる。日本人が古くから思い描いてきた霊界の図式が、新興宗教が誘いのために説くようなものとも違うし、また、一神教を争い好きと見なす単純な考えの持ち主たちとも明らかに異なるのである。
 ここには、仏教の影響のない、あるいは少ない、日本に巣くう何か怪しい物の怪の正体を考察するのに役立つような地盤が構築されている。この本は、たんなる趣味して読まれても構わないが、そうした日本人の精神世界の核心を垣間見るためにも役立つものとなりうるであろう。




Takapan
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