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『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』

ホンとの本

『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』
マックス・ウェーバー
大塚久雄訳
岩波文庫
\699+
1989.1.

 こういう名の知れたものに限って、実際に読んだことがない。そういうことはよくあるだろう。昔実は読んだはずだが、印象のほかには覚えていない。そこで改めて読み直した。昔は岩波文庫も上下2冊に分かれていたが、この新しい版だと1冊にまとめられている。そのほうが扱いやすいだろう。必ずしも新しい訳ではないが、読みにくいということもない。
 訳者が断っているように、本文には長い頁の注が付いている。段落の中に出てくるちょっとした言葉に印が付けられて、まとまった段落の後に、くるわくるわ、注釈の列。どうも本文よりもこの注のほうが分量が多いのではないかとも思えてくる。しかしこれを味わうことで、内容に深まりを覚えながら読むことができるのはありがたい。背景や事情を知るために、大いに役立てたいものである。
 実に詳細に、また歴史の中から拾える資料を細かく用いて、マックス・ウェーバーの渾身の作品が綴られていく。プロテスタンティズムが労働を推進した、というような知識は、中学生の学習者でも習えばそうだと覚えるようなことであり、大人も、そういうものだと記憶しているのではないかと思われる。だが、少しでもプロテスタンティズムというものに理解を進めれば、これは異様な理解であることが分かるだろう。事実、マックス・ウェーバーの思想が難解だと目される理由のひとつは、この奇想天外な結論によるものだという。
 プロテスタンティズムは、この世に価値を置かないという基本がある。少なくとも、この世のものを目的と見なしてしまうことは、聖書のみという信仰の態度からすれば、とてもキリスト教会で話すような内容ではないと言える。カトリックに対する反動があったにしても、労働に励み、金を稼ぐことを喜ぶというのは、金に仕えるか神に仕えるかと迫ってくるイエスの問いに、適切に答えることとは正反対のもののように思われるであろう。
 私たちのマックス・ウェーバーの理解には、何か誤解があるのではないか。
 受験勉強のために覚えた知識としてではなく、いったい何がそういう不思議な結論へと導くのか、そういう問いかけの塊として、この長大な論文に向き合いたいものである。
 だが、要するに本書から何を受け取ればよいのかというと、歴然としている。「資本主義精神と禁欲的プロテスタンティズム、とくピュウリタニズムとの歴史的関係を社会学的に追究したもの」である。これは、巻末の「訳者解説」の最初の頁に書かれている。
 この「訳者解説」、これが凄い。凄いとしか言いようがない。文庫ではあるが40頁に及ぶ。そしてそこには、翻訳の苦労話も皆無とは言わないが、裏話的なものは少しもなく、本書の要約と論点とを提示するばかりなのである。うんうん唸りながらなんとか最後まで読み通して、訪れたこの「訳者解説」にたどり着いたとき、私はこけそうになった。なんだ、この解説だけでいいじゃん、と。
 もちろん本当はそうではない。読んできたからこそ、この要約や、触れてあることがしみじみ分かる。訳語の問題にしても、ある程度は弁えていたものの、やはり解説を知ることで改めて知るところもあった。そして何よりも、長い授業を聞いてきた者が、この授業でいったい何が分かったのかということを、的確にまとめてくれたものとして、重宝すると言ったほうがよいはずである。
 その中にたとえば、注目すべき箇所がいくつか引用され、本文のここは大切だ、という指摘がある。私は、借り物ではない本にはラインを引きながら読むのを常としているが、改めてこの引用箇所にも、ここと思ったところに線を引いてみた。そして、本文何々頁と書いてあるのでその箇所を開いてみると、それを自分で読んだときにちゃんと同じ箇所に線が引いてあった。同じ人格だから同じところに引くだろう、という醒めた味方もあるかもしれないが、自分としてもそれなりに重要なところは意識できていたのだろうという安心感があった。
 なお、この「訳者解説」であるが、最初の10頁は、本書の要約ではなく、マックス・ウェーバーの背景にある学会の様子や作品の意義、また思想史的な観点からの特徴など、本書の位置を理解するために必要なことが要領よくまとめてある。このまとめ方も光っていて、一読しただけで、本書が何であるかということについて把握できるような気がしてくる。
 また、終わりの何頁かは、マックス・ウェーバー以後の思想史と彼への評価などにも触れてあり、まだまだ言い足りないといった訳者の心意気を感じる。
 最後に、本書の優れた点をもう一つ挙げるべきであろう。それは、充実した索引である。24頁にわたる索引は本格的で、役立つこと請け合いである。学生にとっては本当にありがたいことだろう。索引の有無は、古典的文書の出版にとり要のひとつであると私は考える。2021年現在では1243円で発売されているが、それに見合う、否それ以上の価値があると信じて疑わない。




Takapan
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