本

『説教 コリント人への第一の手紙』

ホンとの本

『説教 コリント人への第一の手紙』
小林和夫
日本ホーリネス教団出版局
\1748+
1993.11.

 個人的に、小林先生には絶大なる恩義がある。聖書への信仰はもっていたが、問題を抱えていた私に、聖書の中の「きよめ」を明確に伝えてくれたのが小林先生であった。その講談調ともいえる迫力あるメッセージは、FEBCでお聞きする限り、いまもそんなに大きく変わっていないように聞こえるから驚きである。
 かつて、ローマ書についての講解説教集を学んだことがある。一つひとつの説教に見出し的なレジュメが掲げられ、また要点がいくつあるかということを最初のほうで明確にしてから話に入る。また、ギリシア語などの背景も少しは触れるがあまりに専門的にならないような語り方をし、聖書は知っているが予備知識めいたものはさほどないような年配の方でも十分聞いて辿ることができるような語りぶりとなっている。これだけのものを早口でまくしたてる説教ではあっても、聞く側がついていける、それが著者の魅力でもある。
 解釈は非常に福音的である。つまり、学術的に検討するというものではなく、聞く人がこのことばによって生かされることを明らかに目的としている。それは、私もそうありたいと願う方向性である。神学者の名を持ち出すこともあるが、それは聖書を生かすためにどう理解するかについての補助をなすものであって、研究論文的な意図ではない。聴衆が知らないような神学者であっても、不安に思わせないような引用の仕方をする。こうしたあたり、私もやはり無意識のうちに見ならうようになっていることは否めない。
 さて、本書は第一コリント書である。長い書簡であるが、たとえ長くても講解が厭きさせないのは、そこに場面的な変化が十分にあり、しかし一つの筋が通っていて、さらにこの問題多き教会の抱えていたものが、いまの私たちの教会にも直結する可能性のある、あるいはまさに同じ問題が起こっている、そうした事情があるからである。道徳的な問題もあるし、伝道者への態度もある。なにより、元来異教文化の地において、先進的な都会で信仰を得た人々が、聖書をよく学びはするものの、誤解や無理解も伴って、教会が一致せず分裂寸前であったというところなどは、私たちにも深刻な課題を投げかけてくれているのではないだろうか。
 同じ一筋の理解で書簡を読んでいくため、ある程度の理解をすれば、読みやすいと言える。それでいて、聖書の各場面の背景や意義をもたくさん見せてくれる。聖書を学ぶ上でも役立つはずである。しかしなお、聖書を教会生活に生かすための良きガイドとなることができていると言えるだろう。
 聖書はそもそも、どこをどうとっても、現在を生きる私たちの生活や考え方に、つながりがあると言わなければならない。生活習慣や背負った歴史、なにより時代背景が異なるとはいえ、同じ人間として、同じ課題や信仰を心に歩んでいる点、違うはずがないのである。第一コリント書は、そうした素材としてはなかなか有意義なものであると言えよう。
 本書はメッセージの本である。ほかにも解釈の方法があるだろうし、異なる意見もあるだろう。説教者として、著者はそのうちの一つを選び、奨励する。だから、聖書についてさらに学ぼうという人は、別の解釈について知るために、また別の本を必要とするだろう。だが、自分の信仰の中にひとつの確固たるものがないことには、何か新たな事態において判断する基準を持たない。ひとつの基準として本書のような福音的なメッセージは、非常に健全なものであると言えるだろう。他の書簡についても、同様の説教集が出版されている。旧い本となり入手しにくいかもしれないが、機会があればどなたにでもお勧めできるものである。著作集も出ているので、そうした美本でお読みになるのも素晴らしい。説教を聞くのと同じだから、ただ読んでいくだけで、元気にしてもらえる。そんな力をもつ著者の説教は、可能ならば、音声で触れることを、さらにお勧めする次第である。




Takapan
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