本

『祈りのともしび』

ホンとの本

『祈りのともしび』
平野克己編
日本キリスト教団出版局
\1200+
2015.6.

 2000年の信仰者の祈りに学ぶ。題の下に明確に記されている。ここには、歴史上の35人のキリスト者の祈りが集められている。いずれも、長くはない。だが、その人の信仰の内実を的確に示しているように見える。代表的と思われる祈りだろうとは思うが、編集の意図に基づき、相応しいものが取り上げられている。
 そもそも一人の人生を、一つの祈りで語ることなど、不可能である。だが、ここではその人物を伝えようとするのではなく、あくまでも読者の祈りのためである。
 どのように用いたらよいのか。「はじめに」で、編者の考えが述べられている。祈りはしばしば、自分の内から湧きいずるものであり、他人の真似をするようなのはおかしい、と考えられているかもしれないが、祈りの言葉を教えてもらうことには意味がある、というのである。「祈りは、外側から訪れる新しい風を、わたしたちの命に吹き込んでくれる言葉なのです。」
 また、心強いアドバイスもある。「祈りは、手を組み、目を閉じ、頭を垂れて、という決まった姿勢で祈らなければならないものではありません」と言う。この注意は、二三度念を押して伝えられるから、この本のおそらく主眼であるとも言えるだろう。
 こうして「神の慈愛の息吹」「神から来る風」が吹いている場はいろいろにあることを告げることで、読者は励まされることだろう。
 それから、それは教会という仲間の間で成り立つこともあると説く。もちろん「教会堂」のことではない。信仰を共にし、共に喜び共に泣く仲間のことである。そのとき、「祈ることを難しく指せる者がある」のは、「自分の言葉でいのらなければならない、という思い込み」であるとも言う。そして、「わたしたちの神は聞き上手」であるのだから、「どんなにたどたどしい言葉でも、言葉にならない呻きであっても、聴き取ってくださる」と励ます。
 聖書には、詩編という、先人の素晴らしい祈りがある。イエスもまた、いわゆる「主の祈り」を教えてくれた。新約聖書の中にも、祈りと思しき美しい言葉が随所にある。それを知った上で、本書には、先輩クリスチャンたちの祈りを集めた。「目を開いて、誰かによって記された祈りの言葉を朗読する喜びをあなたも知ってくだされば」、という思いを抱きながら、集めたものである。神は、その祈りを確実に聞いていてくださるのである。
 こうしたアドバイスによって幕が開けられた祈りのパレードは、ローマのクレメンスやヒエロニムスなどの時代から、トマス・ア・ケンピスの時代へと続き、その次はエラスムスやトマス・モアという仲間たちから、ルターやロヨラなどによる新たな時代が切り拓かれ、その流れはキルケゴールやブルームハルトまでは一区切りとする。そこからさらに現代の潮流に入り、リジューのテレーズやカール・バルトなどから、マザー・テレサや三浦綾子、そして編者の師である加藤常昭も挙げつつ、ヘンリ・ナウエンで締め括られる。
 それぞれの人物は、簡潔に紹介されるため、あの人か、と読者は思い当たることもあるだろうし、関心をもてば次の著作へと進むこともできる。
 他の書物からの引用を、権利をもつ人の許可を得て集めたり、編者自身で訳したりしてこのような日本語の祈りの書ができたわけだが、編者は英語をベースにしているため、時には「孫訳」があることなどについて、「あとがき」で断っている。元は、自ら牧会する教会のパンフレットとしてつくったものが、出版されるようになったのだそうだ。最後に、編者自身の祈りの言葉で閉じられているのも、魅力的である。
 と、ふと気づいたのだが、キリスト者の祈りとしてとみに有名なものが、ここには含まれていない。ニーバーの祈りである。「変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ」に始まるものである。また、特定の人物ははっきりとは挙げられないことが多いが、ニューヨーク大学のリハビリセンターの壁にあったという「病者の祈り」もよく知られており、さらにはマーガレット・F・パワーズの作と言われる「足あと」も多くの人々の心を慰めてくれた。著作権の関係で採用されなかったのか、それとも本書の目的は、そうしたあまりにも有名なものによって「知ってるよ」と安心させることを避ける意味もあったのか、それはさしあたり想像するしかないだろう。
 なお私は、日々のデボーションの一部として、こうした祈りの導きを参考にしている。かつてはスポルジョンのものがよく知られていたが、朝に夕になかなか分量が多いのと、やや時代にそぐわない点が多くなった点で、何年か遠ざかっている。加藤常昭先生のはよく使わせて戴いた。そして今年2026年は、カール・バルトのものと、本書とを用いている。40日ほどで一巡するから、年間、繰り返しまた最初に戻ることにしている。その日一日、その祈りに支えられることが、ひとつの願いである。




Takapan
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