本

『プラグマティズムを学ぶ人のために』

ホンとの本

『プラグマティズムを学ぶ人のために』
加賀裕郎・高頭直樹・新茂之編
世界思想社
\2400+
2017.4.

 高校の倫理の教科書で出会ったのが、プラグマティズムの思想だった。理論や思考の中での理念めいたものを原理とするトップダウンではなく、現場の実際的な行動や実用的な観点から判断していくことをよしとする考え方である。もちろん、思想家それぞれにより結構な相違はあるのだが、大枠としてはそうした思考法をもっている思想である。
 プラトンやカントに惹かれていた私は、プラグマティズムとは対極的な考え方なのだろうと自分のことを思い込んでいた。が、年齢を重ねたせいか、ふと気付くと、自分はプラグマティズムの捉え方のほうが居心地がよいのではないか、と感じるようになった。
 改めて、プラグマティズムの基本に触れてみたいと思ったところ、広く浅く、しかし決してABC口調のものではないらしいという声を聞いて、本書を手に入れたという具合である。
 確かに、とびきり専門的な部分を深めているわけではない。だが、かなり突っ込んだ味わいを呈してくれているし、倫理の教科書程度では済まない、重要な思想家が盛り込まれている。パースやジェームズ、デューイあたりから入るので、教科社組としては近づきやすかったが、クワインやセラーズとなると、名前くらいしか知らなかった。ローティはよく取り沙汰されるものの、その内容を知っていたとは言えない。こうなると、ネオ・プラグマティズムというグループになってきて、いっそう現代的な路線をもたらしてくれる。さらにディヴィドソンとなると、そもそもプラグマティズムの中に入れてよいのかという議論もあるそうだが、ある意味でそうだとして、本書にはちゃんと場所が与えられている。
 後半では、記号学、意味論といった現代哲学思想との関連が説明され、哲学者は縦横に扱われる。科学哲学にも深い関わりがあり、これがやがて存在論という方面にも手を伸ばしてくるものだから、プラグマティズムは幅が広い。もちろん、デューイの思想がアメリカ教育を大きく方向づけたこともあり、とくにアメリカの教育分野ではプラグマティズムの色に染まっていると言えるほどであろうか。しかし、いつまでも過去の理論で賄える訳ではない。新しい方向性についても示唆が与えられるべきである。教育はいまもなお大きく変わろうとしている。殊に日本はいまその大きな渦の中にある。が、まだ始まったばかりでもあるために様子を見ているような雰囲気もあるが、現代教育への眼差しは、プラグマティズムを知る中で既定の路線が敷かれており、これからどのように向かうのかは、やはりこうした思想界の動きや議論が大きくものを言うことを感じる。これなしに現場だけでああだこうだと言い放つばかりのワイドショーのような場は、一利もないことを肝に銘じたい。
 さらに、現代の重要な要請は、倫理学である。新たな倫理分野が増えてきている。おそらく、社会制度や環境情況、国際情勢など、課題が山積みされている中で、プラグマティズムはそれぞれの現場に対応できる、ある種の器用さを備えているものと思われる。現実にこの問題をどうすればよいか。それにすぐに手を伸ばすことができるし、伸ばさなければならないのだ。これは強みだとも言えるだろう。
 本書は最後に、民主主義論で閉じられる。民主主義は最良の制度だと現代人は信じている。ここまで歴史が導いてきたのは事実である。しかし、本当にベストであるのか。また、現実に民主主義の中で生じた矛盾や軋轢などがある以上、それへの対応が俟たれていることになるため、プラグマティズムの出番だと言えるかもしれないのである。リベラリズムが当然とされたり、それが非難されたり、世界と未来を動かす政治の世界に、直裁的に殴り込めるのは、プラグマティズムだけとは言わないが、やはり影響力をもっている思想タイプであるのだろうと考えられる。
 文献資料も豊富である。私もこれらを参考にしながら、ぽつりぽつりと繙いてみようと、すでに動き始めている。




Takapan
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