本

『ナゼニ愛ハ…?』

ホンとの本

『ナゼニ愛ハ…?』
ジミー《幾米》作・絵
宝迫典子訳
小学館
\1365
2005.11

 絵本と呼んでよいのかどうかもよく分からない。たぶん、大人のためと言ってよいのだろうが、子どもが読んではいけないとか、読んでも分からないとかいうこともないような気がする。しかし、やっぱり大人が自らを省みるためには相応しいのではないかというふうに思う。
 マンガのような絵。そして、最初から最後まで、「なぜ?」の嵐。
 すべて私たちが了解しているものに、「なぜ」という疑問詞を付ける。それだけで、その日常的な言葉について、そもそも、というふうに考えなければならなくなるように思えてくるから不思議だ。
 水(は地域によっては切実なものだが)や空気などを、私たちはごく当たり前のものとして、意識すらしていないことがある。水に潜る人や宇宙飛行士でなければ、あるいは高山の人もそうかもしれないが、空気というものについて考えることもない。だが、いざそれがなくなる状況、あるいは汚染される姿に出会うと、たちまち意識する。まさに「健康」のようなものだ。
 私たちは、精神健康のために、いちいちそれらについて意識しないようにしている。何もかもを疑い一つ一つについて考えながら生きていくのは、実にしんどい。この絵本は、作者自身の個性にもよるものに違いないが、恰も実験的であるかのように、凡ゆるものに「?」をぶつけている。
 なぜ、戦争があるの? なぜ、みんな互いに傷つけあうの? なぜ、テレビは恐ろしい映像を繰り返し流し続けるの? なぜ、大人たちは子どもの純粋な心を守ることを忘れたの? 悪夢はいや。でも平和で美しい世界があるのは、夢の中だけ。(26頁)
 なぜ結婚したの? なぜ離婚するの? 結果を知っていたら結婚しなかった? 別れると知ってても私を生んだ? 私が永遠に傷ついたら、気にする? 私が永遠に傷つくなら、考え直す?(62頁)
 私たちは、もう少し、他の誰かの視点に立つということに、意識を傾けてもいいような気がしてくる。思いやりも慈しみも死語となりゆく冷たい風の中で、せめて、時折「なぜ?」と問い直すことを、もっとやってみる必要が、あるのではないだろうか。




Takapan
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