本

『続・豚の死なない日』

ホンとの本

『続・豚の死なない日』
ロバート・ニュートン・ペック
金原瑞人訳
白水社
\1456+
1996.10.

 続編に傑作なしと言われるが、どうしてどうして、これは読み応えがある。著者の実体験に基づくお話であるせいでもあるだろうが、それにしても、単なる体験ではもたらされないような経験の数々と、それを感動的に伝える力をもった作家の力量というものを感じる。物語の中にあるように、国語だけが成績が悪かったというのは本当なのかと勘ぐりたくもなる。
 正編では、豚を殺す仕事をしていた父親が、生活に役に立たなくなった飼い豚を殺すことで、少年ロバートはひとつおとなになるが、その後間もなくその父親も他界する。そのことが、もう豚が死なない日を迎えたという意味で、題が付けられたのであった。
 ロバートは、十代半ばにて一家のすべてを背負うことになる。とはいえ、学校生活も続けなければならず、世間知らずなロバートの上に、現実の厳しさが襲ってくる。税金を払えなくなれば、土地を手放さなければならなくなるというのである。経済情況が社会的にも苦しくなる。その中で、頼りにしていた家畜も死んだり役立たなくなったりしていき、困窮が始まる。アルバイトも始めるけれども、それもやがて不況もあってできなくなる。銀行の融資も限界を迎える。
 学校のことは、好意をもってくれる女の子が助けてくれ、また協力的な教師がいて、支えられる。そしてこうした人により、無縁で苦手だった文学へも目覚め始める。もしかすると、本当にこうした経緯で、これだけの文才を発揮するように変わっていくのかもしれない。
 それぞれのキャラクターが生き生きしている。一人語りの物語であるが、単調になることが避けられている。冷たい仕打ちをする人もいるが、実はそれも職務的に仕方なしであったことが後に明らかになる。田舎の温かさのようなものが全体に流れているだけに、読んでいて不愉快を覚えることがない。それは、もしかすると主人公が痛めつけられることで快感を覚える読者からすれば、物足りなさを感じるかもしれない。だが、生活苦がそこにある限り、ある意味で痛めつけられ続けていることになるので、感情移入すれば十分はらはらし、切なくなる。むしろ単純な悪役を設けることなしに、何が悪いんだろうという点を感じさせる分、より苦しい気持ちになるかもしれない。
 十三歳から始まる、ロバートの大人としての生活。中身はもちろんまだそんなことはないのだが、母親たちを支えるためにしっかりしなければという点を、悲劇的なものやいきり立った気持ちで表現しようとするのでなく、淡々と語り、描くことで伝えてくるのが、ぐっとくる。
 訳者は、これを「続」という名前で提供した。それは、元の話の続編であることを知らせるためだった。日本での売り方は、それでよかったかもしれない。しかし、原題はそのようなものではなかった。もし原題に沿って日本で販売したら、やはり正編とのつながりが強調されなかったかもしれない。それはもう商法という点で考えるしかない。しかし、原題は違うのです、と「訳者あとがき」で見たとき――私は扉の原題を見ずに最後まで読んできた――、私は思った。「あの言葉ではないか?」と。それは、どこにあるとは申さないが、本文の中でひとつ、とても象徴的で美しいフレーズが心に留まっていたからである。果たして、原題は、まさにその言葉であった。私は、国語のテストで満点をとったようなうれしさを覚えたが、そんなことより、その題の美しさに改めて感動した。邦題にそれを遺せなかったのは、ある意味で仕方がないことだったかもしれないが、少しもったいないような気もした。
 そこには祈りがあった。もう、シェーカー教徒とバプテスト派との諍いのようなものもない。共に空を見上げ、祈る。そこに、この物語を貫いていた神の包むような眼差しがある。ロバートをすべて知り、導いてきた神の愛がある。少年が成長していく姿を、見守る、父親代わりの神がいる。
 やはり、正編から読むことを強くお勧めする。そして、続編が、どうしても必要だったということを、喜んで伝えたいと思う。




Takapan
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