本

『ペンギン・ハイウェイ』

ホンとの本

『ペンギン・ハイウェイ』
高見登美彦
角川文庫
\640+
2012.11.

 さあて、どうしたものか。小説の中でも、謎に挑むのがストーリーである作品について、何か書けばそれでもういわゆるネタバレということになってしまうのではないか。だが、この作品の良さや感じたところをなんとか示したい。このジレンマは、どう解決できるというのだろう。
 そう言いつつ、解決などしないのさと、まるで映画の予告編のように、語り始めてみようかと思う。
 小説はぼくの独り語りで進められる。アオヤマ君という名前だが、ファーストネームは遂に出てこない。ほかの友だちも、ウチダ君とかハマモトさんとか、苗字でしか呼ばれない。そして問題の女性は「お姉さん」だ。歯科助手をしている。お姉さんはぼく、つまりアオヤマ君のことを「少年」と呼ぶ。おっぱいが大きく、アオヤマ君の目はついそこに行くが、性的な感覚はまだない。この小学生たちは、四年生という設定だ。
 物語はいきなり、街にペンギンが現れたというところからスタートする。ペンギンは不思議な現象であり、得体の知れない存在として街を混乱に陥れる。
 ぼくは頭の良い小学生だ。何事もノートを欠かさず、研究をする。えらくなるのだという希望は画餅ではなく、世界について日々学び、常に昨日の自分よりもえらくなるという哲学をもちながら、あと3888日で二十歳になる、などといった計算をしながら生活している。その生意気な登場からして、すでに魅力である。威張っているわけではない。ある意味で孤高なのだが、理解ある父親の教えに知的関心をいつも寄せ、テーマを捜し、また疑問の答えを見いだそうと頭を始終使っている。あまり頭を使うのだから、夜はすぐに眠くなる。
 お姉さんはぼくにチェスを教えてくれる。不思議な関係だ。
 いやいや、こんなふうに描き続けると、筋を全部書いてしまいそうだし、いつ終わるか知れない。とにかくペンギンの不思議を仲間と研究することにしたぼくだったが、お姉さんとペンギンとの関係に気づいていく。また、チェスの実力者でもあるハマモトさんも、街の中である秘密を知っていた。こうした、一見それぞれが無関係であるかのように思われるものが、物語の展開において次第に結びついていき、街中を大騒動へと巻き込むのだ。
 ペンギン・ハイウェイというのは、ペンギンが列をなして同じところを通るその道筋を言うのだそうだ。著者は、この言葉とあるとき出会って、そこから物語の着想を得たという。少年が抱く妄想と言えば妄想、そうしたものは、誰もが通過していく道なのだろう。だがこの作品、2010年に発行されると、第31回日本SF大賞を受賞している。サイエンスと呼んでよいのかどうか分からないが、サイエンス色を醸し出すフィクションであると言えばその通りである。ぼくは科学的に説明をしようとする。お姉さんも謎だ。それを説明できるようにするために、頭を使うばかりでなく、冒険心も豊富で、活発に活動する。
 アニメ映画になったのは2018年と遅い。映画館で観ようかと思った作品だったが、機会を失い、見逃していたが、後にひとの勧めがあり、巣ごもりのときに家でネットを通じて観た。心くすぐるところがあり、しかし映画の中で気になったことが宙ぶらりんになっていたこと、それからネットの評を観たときに、お姉さんが教会に通っているということを知り、それは映画には全く出て来なかったので、原作を取り寄せて読んだ。すると、たぶん原作者としては重い意味をのせていた、教会とか神とかいう点、生と死の問題などいくつかの点が見つかった。
 果たしてアオヤマ君がそれなりに見いだした謎の解決というのは、本当に解決だったのだろうか。へたに説明して読者を説得しようという姿勢がないところがいい。つまりは、その解決すらも読者それぞれにあるべきものだというようなスタンスである。いや、確かに本のほうには一定の解説がある。しかし、それが何であるかということについて、まとめ的な命題が用意されていないのだ。もしそれがあったら、安っぽい謎解きドラマに成り下がってしまっていただろう。結局お姉さんも何者であるか、作品は読者に直接的には知らせてくれない。だが、これは特に男の子だったら、ということにしておこうと思うが、青春とも呼べないような時期に、多く覚える思いや、女性を女性として見る眼差しと妄想のようなもの、そして世界や人生に対する恐れと問いなどが錯綜して、非常に魅力的な内容になっていることは間違いない。
 魅力的なキャラクターが躍り回るような作品である上に、ストーリー展開はもちろんのこと、垣間見せる深淵なテーマが、心をかき混ぜる。映画と小説と、どちらもご存じない方には、どちらを先にお薦めしようか。やはり、映画のほうが、リアリティがあっていいかもしれない。ペンギンが沢山出てくるのは、文字だけでイメージするよりは、せっかくそれを考えに考え抜いて形にしてくれた、映画関係者の努力を受けさせて戴いたほうが、きっと胸に強く迫ってくることだろう。
 そして、お姉さんのことをステキだと思った人は、まだどこか少年として生きているのかもしれない。もちろん私もその一人だ。




Takapan
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