本

『へいわとせんそう』

ホンとの本

『へいわとせんそう』
たにかわしゅんたろうぶん・Noritakeえ
ブロンズ新社
\1200+
2019.3.

 白と黒だけでつくられた、シンプルな絵本。男の子の顔がどーんとあるだけの表紙。インパクトがある。それでいて、タイトルのシビアさ。発行当時もずいぶん話題になっていたが、図書館でこのたび見つけて借りた。
 詩人の谷川俊太郎氏が「ぶん」とあるが、それでよいかどうか分からない。この絵本には、文はひとつもない。「へいわの○○」「せんそうの○○」と、一頁にひとつの言葉とひとつの絵、それらが見開きで比較できるようになって次々とめくっていくという構成だけの本であって、句点がひとつもない。
 いわば、言葉だけの詩では表現できないことが、イラストと合体して、新たなスタイルの詩をここに提示したとようなものである。イラストによる詩。へいわとせんそうとの比較が、「ボク」「ワタシ」「チチ」「ハハ」「かぞく」ときて、常に左の頁が和やかな絵で、右の頁が荒んだ絵となっている。こどもが見て目を背けるような酷い絵ではない。ただ寂しい、不安な、そんな絵である。しかし言葉の背後に想像力をもって私たちが詩を味わうように、こどもたちも、イラストの背後に、拒むべきもの、嫌なものを感じとっていくだけの想像力を働かせることができるものとなっている。尤も、近年危機に瀕している想像力という問題からすればどうであるか、保証はもてないのだが。
 続いて「どうぐ」となると、へいわのどうぐは鉛筆、つまりペンであるが、せんそうのどうぐはピストルとなる。「ぎょうれつ」となれば、保育園のこどもたちの絵と、銃を担いだ兵隊の絵とが比較される。だんだん、戦争への描写が本格的になっていく。
 ご心配なく。ノリタケさんのイラストはほのぼのしている。恐怖感を与えるものではない。こどもの視線をしっかり捉え、見つめさせて考えさせる力を秘めた見事なイラストである。
 それから「き」「うみ」「まち」「よる」と対比されてゆくと、その先には「くも」があり、せんそうのくもは原爆のきのこ雲が、ここだけ写真で扱われる。これも酷いものではない。核実験の写真ではないだろうか、限りなくイラスト的である。それともこれはイラストなのだろうか。ともかく、この「くも」で話は転換を迎える。
 このあとはもう説明しない。「へいわ」と「せんそう」が、別の言葉の対比に変わる。そして、見事な読後感を与えてくれる。さすが谷川俊太郎氏だと驚く。これが詩人のもたらす言葉の魔法だろう。しかも、今回は言葉だけでそれを伝えることができなかった。イラストと併せて初めて意味をもつ詩なのであった。そうした表現方法の中で言葉を操るということをこれほどシンプルに、これほど奥深く、意表をつきつつ納得させ、あるいは私のように、涙さえ誘うという魔法を覚え、感服する。また、実は中央の「へいわのどうぐ」というところに、重きがあるものと私は勝手に捉えているが、もちろんそれも一人ひとりが感じとって戴きたい。
 かつても「かっぱ、かっぱらった……」にはイラストが効果的に使われていたが、それはイラストがなくても十分楽しめるものだった。しかしこれは違う。イラストがなければ何の意味ももたらさないに等しい、言葉の並びである。
 そしてそれは、言葉が終わり本を閉じたとき、裏表紙にまで及ぶ。ここから君は何を見るのか。作者たちにもメッセージはあるだろうが、それは一切秘されている。読者に委ねている。私たちの言葉は、ここから始まるのである。
 ぜひこどもたちに見せてほしい。そしてまた、おとなたちが、読後しばしの沈黙を経験した後、厳かに語り合ってほしい。価値ある絵本である。深い本である。これを完成させ、あるいは色づけるのは、私たち一人ひとりなのである。




Takapan
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