本

『100年前のパンデミック』

ホンとの本

『100年前のパンデミック』
富坂キリスト教センター
新教出版社
\1500+
2021.6.

 こんな本を求めていた。新教コイノーニアシリーズの1冊である。2020年に世界に広がった、新型コロナウイルスの嵐の中で、医療関係のことを常々思うと共に、教会というもののあり方や方向性を考えなければならないと考えていた。そのとき、やはりひとつ気になるのは、過去の経験である。以前の似たような体験のときに、人々は、教会は、どう反応し、どう対処したのだろうか。それは大いに参考になるし、知恵となると思ったのだ。
 ちょうど百年ほど前に、「スペイン風邪」が世界を襲い、多くの人の命を失った。日本でも、数十万人がこの感冒のために命を落としたとされる。このときに、キリスト教会がどのような対応をしたのか、その記録がどこかにあるはずである。これは私が調べても限りがある。資料をもつ方々による探求がなされてほしいと願っていた。
 それがようやくひとつここに形になった。貴重な史料である。ありがたいこと限りない。
 多くの人の労苦が偲ばれる。調査しようとした時が、2020年の非常事態宣言の中。図書館が使えない。フィールドワークも無理だ。その中で、教会関係の資料が繙かれたのはよかったが、そこで多くの調査者が異口同音に嘆く、あるいは驚く。
 ――スペイン風邪についての発言が、教会の資料に、殆どない。
 もちろんその中から、たとえば週報の報告の中に、感冒による死者についての言及などを洗い出して並べてくれている。が、それも多くはない。また、論評といったものも見当たらない。
 今回のパンデミックにおいても、神の罰だとか終末的な解釈などが、ないわけではなかった。しかしそういうのもなかなか見当たらないようである。終末論を唱える人々の取材もあったが、期待したほどの資料は出てこない。
 どういうわけだ。そこで推測された共通の理由というものが、関東大震災である。スペイン風邪が1918年から1920年、この間に45万人とも言われる人が日本で命を落としている。このころ5600万人程度だった日本の人口の0.8%にも及ぶ惨状であった。1923年の関東大震災の犠牲者は10万人を超え、スペイン風邪よりは数として少ないのだが、なんといってもその実際的恐怖と視覚的ダメージが大きい。特にそれが関東であったこともあり、東京を中心とした出版なり報道なりのあり方からすれば、こちらの画は実に印象深かったものと言えるだろう。
 この関東大震災により、スペイン風邪の報告も論評も、そして記憶もまた吹き飛んだのではないか、と本書は推測している。
 記憶というものは大切である。そのためにも、記録というものの重大さをかみしめる。過去の出来事や災難の記録が、将来の苦難の対策にもなる。皆覚えているからいいさ、などと構えていても、その人々はやがていなくなり、記憶というものが存在しなくなる。後継者には何も知らされないままに、また一から経験しなければならなくなる。
 もしお持ちであれば、いま一度『教会アーカイブズ入門 記録の保存と教会史編纂の手引き』(いのちのことば社・2010年)を振り返るべきだろう。この本の存在をご存じない教会があれば、早速入手して教会記録の保存のノウハウを学ぶべきだろう。尤も、中古本市場でも殆ど出回っていないので、入手は難しいかと思われるけれども、理念的にも具体的にも、優れた試みの本であったと思う。
 さて、本書に戻るが、その巻末には、取り上げた資料が一覧表の形でまとめられている。これは流し読みしかしていないが、ぜひまたゆっくり一つひとつ見ていこうと思う。たとえば本編では、テーマに沿って拾い上げているために、すべての資料が時系列で理解されているわけではない。そこへ行くと、巻末の資料はすべてを時系列で並べているので、本編では気づかなかった関係に気づかせてもらえるかもしれない、という期待を抱くことができるのではないかと思うのだ。
 ともあれ本書が発行された2021年現在、まだ世界は新型コロナウイルスのパンデミックの中にある。結局百年前には、政治もスペイン風邪に対して何の打つ手もなかったようである。もちろん、教会もなすすべがなかったらしい。そして今もなお、やはりなすすべもないというのが現状であるとなると、百年前のことが教訓にもなっていないという悲観的な見方もできよう。もちろん、ワクチンの開発など、かつてとは違う情況はある。しかし、ならばなおさら、今回の出来事や対応も、記録に遺しておく価値が必ずあるはずである。無力な教会が、この後どう新しいエポックを迎えるのか、それとも衰退してしまうのか、その分かれ道に、私たちはまさにいま、あるのである。




Takapan
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