本

『親子で楽しむ都会の自然遊び』

ホンとの本

『親子で楽しむ都会の自然遊び』
絵・中村みつを
構成.文・グループ・コロンブス
JTB
\1,200
2004.4

 自然と触れあうためには、山や海に行かなければならない、という強迫観念がある。都会の中では、たとえ街路樹を見ても、自然とは思えないし、思ってはいけないように考えてしまう。
 そんなふうに思い込む必要はないのだと、この本は教えてくれる。まず町を歩いて地図を作ることから、それはできるという。もし草原に出会えたら、そこを素足で歩いてみようと提案する。それだけで、生き物や自然現象と触れあう心構えのようなもの、いやすでに触れあっていると言える行為なのだと気づかされる。
 電車に乗って巡ることだって、立派な自然観察となりうるのだ。都会にそうした乗り物があるのなら、それも活かそうというのが、この本のコンセプトである。デパートの大理石の中に、化石を発見するかもしれない。魚市場で魚を観察すれば立派な学習である。四季の行事の意味を考えてみようという提案だけでも、本当に価値ある学びである。
 もちろん、それだけで終わるものではない。しだいに本の頁は、草花の遊びやキャンプでの発見、鳥や星、雲の観察の仕方に言及するようになり、ロープやナイフの使い方も伝授する。
 こうした観点こそ、私たちの今の生活に密着した、効果的な学習ではないかと思えて仕方がない。年に一度、山奥のキャンプに行かなければ、夏休みに海水浴へドライブに行かなければ、自然と触れあえないなどと、イベント的に自然を対象化しているような生き方が、恥ずかしく思えてくる。自然は、私たちの毎日に悉く関わっているのである。いつもそこにあるもの、すでにそこにあるものだ。それに気づくことがまず必要なのであるということを、この本はしっかり伝えているような気がする。
 それは、神を信じる私が、教会へ行けば神さまがいるとかいう考え方を拒み、いつでもすでにそこに神さまが私と共にいてくださると信じているのと、どこか似ている。それは私にとってだけではない。あなたにとっても、そうである。そうは思わないとすれば、ただ、あなたが気づいていないだけのことなのである。一神教を否み、アニミズム的多神教が優れているとしばしば思い込んでいる日本人が、この本の語る自然のように、一神教の神もまたいまここに共にあるものだということを、どうして拒むのだろうと、むしろ不思議に思う。
 特別な準備、大がかりな道具などを必要としない、平凡な日常の中で、自然を感じるような試みであるという意味でなら、この本にはあらゆる遊びが載っている。親子に限定せず、心の若い方はどなたでも楽しめる本である。




Takapan
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