本

『迷路の外には何がある?』

ホンとの本

『迷路の外には何がある?』
スペンサー・ジョンソン
門田美鈴訳
扶桑社
\1000+
2019.2.

 どうしてあれほど売れたのか分からないくらいの『チーズはどこへ消えた?』の作者による、その続編のような本が出版された。サブタイトルにも、その本のその後の物語であると記されている。表紙はチーズではなく、リンゴである。実際、物語にはこのリンゴが登場する。
 迷路で暮らす小人の二人には、いつも大好きなチーズが与えられていたが、ある日突然に、そのチーズが消えてしまう。一人はチーズを探しに出ていなくなってしまう。この迷路の世界の外に行ったようだった。では残されたもう一人はどうするか。追いかけるのか、それともこの世界に留まるのか。
 新しいチーズがないと死ぬ。しかし迷路を探すには危険だ。どうするべきか、自分で決めなければならない。このような行動原則を彼は掲げ、さてどうしたものかと思案する。とりあえず動かなければならない。慎重に行動しているとき、新たな小人と出会う。そして、そこにはリンゴがあった。もちろんまだリンゴだなどとは認識しておらず、それを食べたら死ぬのではと恐れていた最初の小人であったが、リンゴを口にして活気を得る。
 この後すべての物語を明らかにしてしまうほど私は野暮ではない。大きくゆったりした活字で100頁もない、短い物語であるから、読者が各自で楽しむべきだろう。そして、だからこそ、ここでまた教訓めいたことやネタバレをこれ以上起こしてはいけないだろうと思っている。
 たとえば震災。それは突然に起こる。自分が当たり前のように有していたものや計画が、あっという間に無に帰してしまう。ぼんやりと思い描いていた夢や希望は跡形もなく消え、また身近なものを失って、初めてのように、それが自分にとり如何に大切であったかに気づかされる。本当にそれは、突然に起こる。自分のすべてを変えてしまう。
 いわばチーズが突然消えたのだ。物語は余りにも唐突で、どうしてチーズが消えたのか、それは明らかにされない。これは物語の手法を無視している。何かしら原因や理由があってこそ、事態は生じるし、何かしらその説明がなされないと読者は落ち着くまい。しかしこのチーズ消失については全く説明がない。あるのはただ、消えた後、自分がどうするか、だけである。
 だから、災害や事故など、予想もしないことが起こったときの私たちと、確かに似ていると言える。
 もちろん、突然ひとの訃報に触れたときや、身近な人を喪ったときなら、まだこれと同じようなことかと思えるかもしれないが、もっと小さな出来事でも、何かを奪われるということはありうる。自転車を盗られるということがあるかもしれない。愛用していた調味料が製造中止になったということもそうかもしれない。スマホが突然壊れて連絡先のデータが分からなくなる可能性もある。子どもが急に反抗期の様相を示すというのも重ねられるだろうか。
 自分の思惑や当然視していたことが、当たり前ではなくなってしまう、それが突然起こったときに、私たちはどういう考え方をしたらよいだろうか。物語は、主人公が新たな気づきをしていくことで、希望を見出すように流れていく。そうであってほしい。ただそこに、生き方についての指針が描かれているということであるわけだ。
 それは、最後に、ああそうだったのか、と胸が熱くなる背景を知ることで、クライマックスを迎える。必ずしも突然ではないかもしれないが、私たちはそのための心構えをもっていなければならないことに、気づかされる。この本は、現実にそのための本であったのだ。
 それをほかの人にも伝えてほしい。
 物語はここへ集約されていく、それだけはネタばらししても許されるだろうと思う。いまこうして、内容を隠しつつ、本書をお薦めするという形で、私は伝えているのだから。




Takapan
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