本

『大人は泣かないと思っていた』

ホンとの本

『大人は泣かないと思っていた』
寺地はるな
集英社
\1600+
2018.7.

 2020年に『やわらかい砂のうえ』を読んで心が洗われた。しかし2冊目を手に取るのは少し勇気が要る。今度は期待して本を開くからだ。でも、その2冊目も期待通りだったら、きっとファンになるだろう。
 そういうわけで、ファンになった。
 この物語は、一応七つの短篇からできている。その最初の短篇が、本のタイトルにもなっているものだ。しかし、もうひとつ何か掴めないままに終わってしまった。今度は男目線で描いているせいか、女性目線の描き方とは違い、少しもたもたしているような気がして、さっぱりと威勢のいい女性の思いきりのようなものが感じられなかったのである。
 おやおや、と思いながら二つ目の「小柳さんと小柳さん」に進むと、この本のからくりが分かった。これはただの短篇集ではないぞ。最初の、どこか中途半端な運びは、序章に過ぎなかったのだ。同じ登場人物が二つ目も飾る。名前が分からなかった人も明かされていくし、今度は別の視点で物語が描かれる。これは女性目線で、かなり面白かった。これぞ、作家の真骨頂だ。でも、これで完結したわけではないだろう、次は……と進むと、また別の視点だ。そして男だ。だが、面白い。すでに登場しているキャラクターが出てくるから、すでに親しみを覚え、どんな人物か分かっているからだ。先ほどまではその人の一人称で話していたのに、今度はその人が三人称として、外から観察されている。いや、きっとこの人は内心こうなんだよ、と想像できる愉しみがある。こうして、別の視点で物語が提供されていくので、どんどん厚みができていくのである。
 一つの物語だったら、視点がくるくる変わると読みにくいものだ。一人称と三人称が混在するだけで、こんがらがってしまうのが普通である。しかし、これは短篇だとして分かれている。それだけのことなのに、遙かに読みやすいし、わくわく感がたまらない。うまいことやったものだ。
 そのうち、え、この人の目線なの、と驚くようなところから見た世界で、事の成り行きが説明されるようにもなってくるが、好きになるのかな、と自分自身をどこか信じることができない心と、別に好きだというわけではないし、という女心、するとライバルが現れて無防備に過激になっていく心理など、多様な描き方がしてあって愉快である。
 最初のもので「あの女はゆず泥棒だ、」から始まった物語は、物語自体も展開しながら、次々と別の人物の視点から語られ、最後にまた最初の人物に戻ってくる。そして、小憎らしいような結末で、一冊の本が閉じられることになる。
 九州の小さな村での話ということになっている。田園風景を思わせる描写と、農協をひとつの舞台としていることなど、気取らない素朴な人物像が眩しい。ただ、仕方がないことだが、方言が全く出て来ない。すべてが標準語で進んでいく。九州を舞台にした意味は何だったのだろう。九州人である私は、殆ど必然性も狙いもなしに、抽象的な形で九州が舞台に選ばれたことを悔やむ。この点が、少し残念である。
 とはいえ、テンポ良く進むこの作家のよいところがふんだんに出ており、登場人物のキャラクターが重なっていくオーケストラのような構造で深みが出ているし、不思議な思いを懐きながら最後まで運ばれてしまう。そして、期待通りの結末であると言う人がいるかもしれないが、期待できなかった仕掛けに「そうきたか」と膝を叩くであろう。どこか煮えきれないような登場人物の熱い思いが、ついにめでたく明るみに出るからである。
 ネタバレをしてはいけない。そういう思いで、ここまで人物をはじめ物語の内容に関わるようなことをご紹介しなかった。少し胸がキュンとなることを喜びとできる方であれば、これだけでもバラしすぎなのかもしれないが、これくらいなら許されるのではないかと思いつつ、いまなおドキドキする思いを抱えつつ、お伝えしてきた。ポリフォニーの構造が厚みを提供する構成を教えてしまったのは、もしかすると決定的なタブーであったのかもしれない、という点だけを恐れつつ。




Takapan
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