本

『大人のための印象派講座』

ホンとの本

『大人のための印象派講座』
三浦篤
新潮社
\3100+
2024.3.

 雑誌「芸術新潮」に、2年余り連載されたものをまとめたものであるという。確かに、これは「大人」だ。
 大原美術館長・東京大学名誉教授という最高の肩書きを有する美術史が、渾身の力をこめて記した、「印象派」に特化した美術解説である。実に読み応えがある。  表紙の「フォリー=ベルジェールのバー」が目を惹く。19世紀末のフランス都会の風俗がふんだんに描かれているというが、なにぶんこのバーメイドの怪しい眼差しに、惹き込まれる。
 巻末のほうで、「なぜ日本で印象派は人気があるのか」が論じられている。いまでは世界的に気に入られている絵画が多いが、殊に日本では、特別な愛着を以て迎えられているという。その背景について、簡潔だが、的確に指摘されていて、なるほどと思うことが多かった。かくいう私も、ヨーロッパ絵画としては、印象派が好きである。中学生のとき、ルノワールの暖かな色彩に惚れた。英語の勉強も兼ねて、ルノワールについての英語の本を購入して読んだ。
 本の構成としては、第1部が「さまざまなる女性たち」、第2部が「経済と政治における闘い」、そして第3部が「評価と名誉を求めて」となっている。画家の中に女性が少ないことについての議論もあるだろうが、それよりも当時のモデルとして「娼婦」が多くいたことは、私も最初はよく理解していなかった。社会的な背景と無関係に美術作品があるというのは、考えにくいことである。否、それを考えずして、美術を知ったつもりになってはならないのだ。
 もちろん、マネの「オランピア」は、物議を醸した。というよりは、酷評の極みだった。美術史の中でも特筆すべき出来事だった、と見なされる。そして今度はモネだが、「印象・日の出」は、「印象派」の名の由来にもなった作品だが、嘲笑の的であった呼称が、代表的な名となってゆくことは、歴史の中の常道でもある。思想にしても、芸術にしても、次の世代を築くものは、最初は突飛すぎて、理解されず、共感もされないのだ。
 本書が「大人のための」と冠されているのは、オシャレである。娼婦をまず取り上げたから、と思う人がいるかもしれないが、私は、次に「金銭」を大いに紹介しているところに注目したい。絵が幾らで売れたのか。二束三文だった印象派の作品を、高い値打ちにしたのは誰か。そこには美術のバイヤー、つまり画商がもちろん絡むのではあるが、画家たちが結束して展覧会を続けてゆく努力が欠かせない。個展というものが考えられなかったような時代において、仲間の存在は重要なのである。尤も、音楽バンドでもよくあるが、そのうち意見が合わなくなり、独自のものを打ち出そうとする空気が、関係にひびを入らせるようにもなる。さらにそこに金銭が絡むと、関係はたちまち崩壊してしまう。芸術活動の歴史は、そうしたことの繰り返しであったのかもしれない。
 それにしても、政治や経済がこうまではっきりと芸術を特色づけてゆく有様をまざまざと見せつけられると、純粋に絵が、美が、と眺めることのほうが、逆に不純なような気持ちになってさえくる。絵は、人間の、あるいは人間社会の生み出したものなのだ。
 世の中のブームには、流れがあり、きっかけがある。印象派は、良い方向に流れた。しかしまた、群像として活躍した画家たちも、やがて生を終えると、時代が過去となる。活動していた印象派というものは、止まってしまうことになる。だが、作品は遺る。愛された作品は、かつての画家たちの思惑とは違った方向にかもしれないが、受け容れられ、いまは複製が各家庭を飾っている。最初に触れたが、日本では、明治期の西洋絵画の輸入期と重なることや、特に印象派が「ジャポニズム」との関わりが強かったこともあって、感覚的にも好みに合っていた、と言えるのかもしれない。しかし、やはり時期的な問題は大きいようで、要するに西洋絵画を学んだ学生や画家たちが、その色に染まっていくことが多かったというのは、大きいだろう。著者は結論は下していないが、それについての「問いとともに印象派の絵を観ていくこと」を提言している。そしてまた、作品だけではなく、その背景にある文献を知ることにより、絵を観る面白さも増すはずだ、という点を強調する。確かに素人が、見た「印象」だけで判断するよりも、もっと面白いものが見つかるに違いない。
 巻末には、膨大な資料が、特に洋書の文献が並んでいる。これらが、その文献を知ることへの案内であるのかもしれない。が、惜しむらくは、本書には「索引」がない。カラー図版が最初の扉に数枚しかなく、白黒ばかり、というのは仕方がないだろうし、いまの時代はインターネットで幾らでも見ることができるから、それはまだいい。だが、本書のどこにあったか、をまた知りたくなるではないか。それだけ資料性の豊かな本なのである。やはり「索引」はお考え戴きたかった。




Takapan
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