本

『音のない世界と音のある世界をつなぐ』

ホンとの本

『音のない世界と音のある世界をつなぐ』
松森果林
岩波ジュニア新書776
\860+
2014.6.

 NHKのろう者ならびに手話の番組でよく見かけるようになった方の著書ということで、期待して注文した。
 ジュニア新書といって、中高生をターゲットに作られている。著者もまた、そのつもりで執筆する。だが、これがあなどれない。単に大人向けに書かれてあると言われてもなんの違和感も覚えないであろう内容であると言える。
 タイトルが長い。だが、そこに著者の願いがこめられている。この本は、この一事のために書かれている。そして、この一冊では収まりきれない、問題提起であり、読者の一人一人に投げかけられた問いかけであると言える。サブタイトルは「ユニバーサル座で印で世界をかえたい!」とある。著者はこちらが本業なのだそうだ。そのこともよく知らなかったので、この本に出会って、いろいろ初めて見えるものがあったと感じた。
 私はろう者とふれあっている。ろう文化にも、一定の理解があると自負していた。だが、全く分かってなどいなかったのだ、ということがこの本でよく分かった。それがどういうことであるのか、それをここで明かすことは相応しくないということにしておく。聴者の読者も、これを読むことによって、多かれ少なかれそのような感情を抱くのではないかと思うし、それでよいと思うからだ。
 中途失聴者として、音のない世界とある世界と、どちらをも知る著者は、そのことが強みだ、とはっきり言う。だが、その気持ちに達するまでにどれほど傷つき、絶望し、悲しんできたか、それは察するに余りある。それでも、その結論をしっかり受けとめたいと思う。受けとめたならば、どうすればよいか、それもまた、私たち読者が自分なりに考えていけばよい。
 中ほどに、著者自身の体験がたっぷりと描かれている。淡々と述べられているが、涙なしでは読めない。いや、この本自体、新書という性質で、しかも若い人々へと語られるから、希望があり、また易しい言葉で伝わるように大袈裟にならないように注意して書かれているものなのであるが、私は不覚にも幾度も泣いてしまったのだ。理由は分からない。人と人とを「つなぐ」ことは何か、それを感じたような気がしたからかもしれない。
 思えば、政治家と庶民、資本家と労働者など、互いの間に深い溝があり、気持ちが伝わらない関係がある。互いを理解できない間柄である。「橋のない川」という本についてもふれられていた。この本が呈している、バリアフリーからユニバーサルデザインという積極的な試みは、必ずしも聴覚なり視覚なりの障害にのみ起こり得ることなのではなくて、著者も書いているが、ちょっと後ろの人のためにドアを開けて支えておく、というなにげない仕草の中に、その精神があるのだ、ということに私たちは気づく必要があるのだ。障害があるとかないとかいうことでなく、そこにいる相手を理解しようとするかしないかの問題が基底にあるのだということを、私たちは学ぶべきである。
 イグ・ノーベル賞のわさび臭火災報知器にも著者が関わっていたような書き方がしてあった。テレビCMに字幕がつくようになったこともそうだ。そして、なんとディズニーランドを聞こえない方々が楽しめるように話をし、実現させていったのも、著者だったのである。なんと偉大な仕事をしていたことか。
 だが、これらが叶うまでにはかなりの時間がかかり、失望や落胆の繰り返しがあったことも当然忘れてはならない。そうして阻まれる中で、なおも続けて戸を叩き続けた歩みに敬服するとともに、そのドアを開けなかったのは私たち、いや私自身なのだ、という思いを抱くことが肝要である。
 まだまだ気づかないこと、実現されていないことがたくさんある。障害者だという目で私はあまり見ることがないものだったが、その見方でよいのだという励ましも戴いた思いがする。決して間違った方向を見ているわけではない。ただ、分かっているつもりで実は何も分かっていなかった、という無知の知を踏まえて、もう一度私も歩き始めようと思う。その意味で、大きな意味ある出会いを提供してくれた本だった。決して暗く描かれていないし、文句を言うつもりもなく、つねに改善点を提示してきた著者の姿勢に、大いに学びたいと思うのであった。




Takapan
ホンとの本にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります