本

『大人へのなりかた』

ホンとの本

『大人へのなりかた』
白井利明
新日本出版社
\1700
2003.11

 大学の先生らしい本である。学生のレポートや意見を一つの支えとしながら、若者の考え方や精神状態を探っていく。それは比較的経験的といえるし、観察的ともいえる。どこが学問的であるのかと訝しく見る向きもあるだろう。しかし、この分析しきれない「空気」のようなものを指し示すこと――決してあばくことではなく――が、一番相応しいということもあるものだ。十把一絡げに、画一的な評価で終わらせることを警戒するためにも、このように若い世代を呼び起こすかのごとくに語ることは、必要なことなのだ。
 真面目すぎるほどの記述の中で、私たちは若い世界を理解するのに役立ついくつものヒントを得ることだろう。それはここで私がとやかく紹介するべき性質のものではない。関心をもたれる方が、この本から楽しんで見いだして戴きたいものである。
 ただ、私自身のことについて、あるいは私が子どもに対して考えることなどのうちから、思わず唸ってしまったことを挙げておくことにしよう。
 それは、親子のコンフリクト(対立)がない最近の傾向について述べたものである。親と子とが対立しなくなったという。その理由について、学生が気づく範囲で挙げられたものがある。次の通りである。
・親の言うことに納得している。
・親と友達のような対等な関係をもっている。
・親を頼っている。
・自分を拘束したり干渉したりせず、自分の自由にさせてくれる。
・親が怖くて反抗することができなかった。
・親に嫌われたくない、よい子でいよう、と思う。
・他のきょうだいが反抗したので出番がなかった。
・とくに自分に強い欲求や意見がなく、親と対立することがない。
 過激な仕方で、若者の立場や考え方を指摘しようと吠えたものが、先に紹介した『若者はなぜ怒らなくなったのか』であるとすれば、この『大人へのなりかた』は、穏やかに、つまり穏健に、若者の置かれた状態を記述しようとしたものだと言えるであろう。
 興味深いことに、これらの2冊には、たいそう共通する指摘が多い。どんなに乱暴にケンカを売るかのごとく噛みついても、あるいは冷静沈着に、相手にずきんとこさせるようなことのありえないような述べ方であっても、触れている内容については一致が得られることがあるというわけだ。
 自分は例外だが、他人はそうだ、という認識の、如何に多いことか。
 親の方がこの問題とどう関わるか、という点において、これらの2冊は見解が異なる。過激なほうは、親の世代の責任を想定しているのに対して、この『大人へのなりかた』は、若者本人の視点に終始する。それはそれで、構わない。
 若い世代の分析や調査が進むにつれ、こうした一致は増えていくことだろう。そして一致するのならば、どうすればよいか、よい案が生まれるのも時間の問題であると考えたい。




Takapan
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