本

『教えるこころ』

ホンとの本

『教えるこころ』
今道友信
女子パウロ会
\2300+
2011.4.

 1990年頃から2000年にかけて、各方面で掲載した、教育に関する文章が集められている。発行が2011年だが、震災の内容が書いてあるわけではない。
 発行の翌年、89歳で亡くなっている。カトリック信仰をお持ちだったという。教会の牧師が時折この人の名前を出す。多くの著書を世に出しているが、私はあまり呼んだことがない。この際、入手しやすいものを選んで読むことにした。テーマは教育であるというので、私が多少なりとも知っている分野である。
 著者の専門は、教育学というようなものではない。哲学、特に中世哲学方面だというが、知られているのは、「エコエティカ」を提唱したことではないだろうか。環境倫理のような響きをもつ言葉だが、提示されたところによると、「人類の生息圏の規模で考える倫理」ということらしい。
 本書は教育の方面についての発言を集めたものであるため、その倫理の解説をしようとするものではない。そこで、子どもたちへの教育、そして人類の未来というところへ目を向ける人には、読みやすいものとしてお薦めしたいところである。それも、少しばかり物事を根柢から考えてみたい、とする人向けである。表面だけのノウハウを知りたい人の望むようなことは書かれていないと思って戴きたい。
 全体的には、現状なされていることへの厳しい批判が多い。そういうのはともすればひねくれた老人の呟きのように見られて終わってしまうことがあるが、確かにそうかもしれない。しかし、必ず「別の視点」を提供してくれるものだ。そんなことは考えたこともなかった、そういう見方もあるのか、という気持ちで他人の思索を受け止めることができる読者が求められる。すべて自分が正しく、端から他人を馬鹿に見下しているような人は、どんなに慧眼に満ちた本を読もうが、無駄である。
 最初のほうでは、たとえば結果だけを求めて経過やその内部構造へ目を向けようとしない社会的風潮に警告を与える。それが、生活レベルの具体的なことで指摘するところが、読みやすさ、と私が言ったことである。
 教育者の心得とでも言うべきことにも、語りが熱い。自らを教え育むことと、他人を教育することとは同時進行である、というような見方をする。自分を凌駕してゆく存在を生むことこそが教育である、というのだ。
 しかしそこは聖書を知る者である。「見えないもの」への感覚の大切さを踏まえつつ、自分たちを育んだ古典を尊重すること、特に母語という言葉を重んずることを主張して憚らない。このことは、折に触れ表に出てきていたと思う。
 また、そのとき教育の中に「哲学」がないことへは強い警告を鳴らしている。これは私も常々そう訴えていることである。大学という次元で言えば、理系重視という形で明らかになった文系軽視が、たとえばそれである。経済効果、ずばり言えば金儲けを直ちにもたらさない研究に対して、予算を使いたくないという思惑が露骨に現れている。高等教育に哲学を課していないのが、日本の特徴だ。それは、お上のすることに疑いを挟んだり、批判検討をしたりすることを禁ずるためだと私は見ている。恐らく本書の著者も、そういう方向で考えていたと思う。しかもただ哲学のなさを問題にするばかりでなく、それが教育を歪め、未来を壊すことへ、大きな視野で指摘しているところが私のような小さな世界とは違うところで闘う人の凄さである。
 うまく技術を育てて経済効果を出すことが主眼となる。それは、人間ではなく単なる動物の教育に相当するものだ、という厳しさを告げることができるのは、そういう広い視野に基づくものであろう。
 ところで、「ヒューマニズム」という言葉が19世紀にニートハムマーによって造られた語に基づくことを、私は寡聞にして知らなかった。それは、情緒的な博愛主義とは異なるもので、「言語についての教養を持った人」のことなのだそうだ。だからそれは「古典主義」「人文主義」という訳語につながってゆく。だからこそ、古典を重んじ、人文系の尊重へと展開していったのだ。
 実は著者は、その活躍の場に「美学」を有している。だから本書でも、美的意識についての論考がある。人は、客観的な事実の探究や科学も大切なものとして続けなければならない。しかしまた、自己反省というか、自分を知り、自己に沈潜するような思索もまた欠かすことができない。その先に初めて「美」というものを体験することができるというのである。それは、古来捉えられたいた「真・善・美」の枠にも関係するところのものである。また、そこには宗教というものも絡んでくるため、著者は、教育に哲学さえあればよい、とするものではない。教育には宗教もまた、必要なのである。それは、国家神道を強要したあの歴史の中の宗教のことではない。あれは、宗教を利用しただけのものである。宗教は、哲学だけでは捉えられない、さらに上の「見えないもの」へと人の心と知恵を結びつけるものである。
 教育界では、「生きる力」を子どもに与えることが肝要だ、と近年よく言われている。だが著者は、それは動物レベルではないか、と少々皮肉めいた言い方をして一蹴する。哲学がないからそういうことになる。ソクラテスに戻るならば、「生きる力」ではなく、「善く生きる力」が必要なのである。哲学を知らないならば、倫理や宗教への眼差しも有することができない。著者の主張の中核にあるのは、このあたりのことではないか、と私は感じたが、さて、お読みになった方は、どのように捉えたであろうか。
 なお、本書には『ダンテ・フォーラム報告書』に掲載の論考が二つ含まれている。ダンテの『神曲』を辿りながら、そこに隠れた教育的意味を説くのである。実は本書を読む前から、並行するような形で、私はこの『神曲』を偶々読んでいた。まことに偶然ではあるが、天の采配とでもいうべきものだった。そのため、ここに書かれてある風景については、実に愉しく読むことができた。ダンテを知る人は、ますます本書に触れて然るべきだと思われる。この点の「ウリ」についても、最後に触れておくことにしよう。




Takapan
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