本

『古代オリエントの宗教』

ホンとの本

『古代オリエントの宗教』
青木健
講談社現代新書2159
\777
2012.6.

 こういう場合、「古代」がどこを指すか、がポイントである。
 古代オリエントと聞くと、遙か数千年前のメソポタミア文明が頭にちらつく。聖書には、バアル信仰というのが出てくるが、それはむしろカナンの地であって、タゴンやイシュタルなどの名前を思い起こしたほうが、地理的には適切である。
 だが、この本は、新約聖書以後の世界について扱っている。紀元で言えば、2世紀から12世紀あたりのヨーロッパから見て東の地域における宗教が解説されている。しかもそれは、聖書を受け継いでいるのだという。いわば「聖書ストーリー」の変遷というものが、この本の主題である。
 本の帯には写真が現れ、サブタイトル的に「マニ教、ゾロアスター教からイスラームのグノーシス主義まで、異教の魔神たちが織りなすもうひとつの精神史」というような文句が見える。
 たしかに、世界史の主流からは見えてこない風景である。だが、中世へ続く時代での宗教的状況についての理解は、政治や文化について捉える場合にも決して小さなものとはならない。むしろ、歴史の動きを考える場合の鍵にもなりうる問題であるはずだ。歴史的にも、史料的にも空白になりかねない時代の研究であるが、世界的に見て決して実りの小さな分野ではない。
 著者は、やはりその方面のプロであるが、この本のサブタイトルにある宗教について詳しいのだそうだ。歴史の陰に隠れたこれらの宗教について、丁寧な解説が続く。読者のほうで一般に予備知識が少ないことだろうと思うので、やたらめったら説明すればよいというものではなく、そこに「聖書ストーリー」がどう絡んでいるかという点に絞り、その点ではかなり詳しく検討していく。その道の歴史の事情がどうであったか、について教えてくれる。
 ユダヤの一民族の宗教であるに過ぎなかったかのように見えたユダヤ教とその聖書は、実のところ周辺諸国にその宗教的な影響を多大に与え続けるのだ。われこそは聖書の信仰の真実を言い当てる者なり、という感じで、自分の目から見た聖書の真実なるものが語られるとき、それは新たな宗教として見られる。キリスト教がローマ帝国に公認され、やがて国教となるその前から、キリスト教の思想は宗教的に拡がりを見せていたのである。
 アウグスティヌスの回心物語で有名なマニ教についてももちろん扱われるが、他のマンダ教も特徴ある宗教であった。ミトラ信仰も研究者にはよく知られたものであり、それから一見キリスト教とは違うものとしてしか見られないような、ゾロアスター教にもキリスト教の影響が見られていく歴史があるという点が、読者の目からは面白いのではないだろうか。いわゆる拝火教という名で知られるゾロアスター教は、後にイスラームの教えの中にも影響を与えたり与えられたりしている。今もなお細々と生き残るわけだが、その開祖ザラスシュトラ自身は謎に包まれた人物であるようだ。そもそもいつ生きたのかも定かでない。この名をギリシア語に近い発音で読んだのがゾロアスターであり、ドイツ語で読むとツァラトゥストラとなり、哲学者ニーチェで知られるようになった。あるいは、リヒャルト・シュトラウスの交響詩やそれを用いた映画で知る人もいることだろうか。ペルシアの国教となり、その時代が長く続く。イスラームに国が滅ぼされたとき、潰えたかに見えたゾロアスター教も、決して消滅はしなかった様が描かれる。
 このようにして、著者の得意分野を詳説しただけであるかのように見られるかもしれないが、実のところそうとばかりは言えない。聖書ストーリーは、東方の異教の中でこのように変化して影響を与えていくのであるが、この聖書ストーリーの受け継ぎについては、完結が見られるのだという。それは何であるのか、そこをここで明かしてしまうのはもったいない。13世紀にぴたりとなくなるその歴史に何があったのか、その事実が、著者の歴史観の適切さを証明するものともなっている。
 もしかすると、その歴史観の中で、現代の世界の対立図式を平和に導く何かが、隠されているかもしれない。歴史を調べる意義のひとつは、そういうところにあるものなのだろう。




Takapan
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