本

『評伝 大村はま』

ホンとの本

『評伝 大村はま』
苅谷夏子
小学館
\3200+
2010.8.

 教育産業に属するからには、教育の理想や公教育の難点などに、口出しするような立場ではないと自覚している。おまけに国語は、以前担当していなかった。それでも、「大村はま」という人の国語教育についての本には、触れないではおれなかった。わずかなものしか読んだことはないが、その信念というものには、圧倒されるものを感じていた。
 もしかするとキリスト者ではないか。そう感じつつも、ご本人があまりそうした発言をしていないので、確証はなかった。それが、最近、間違いのない事実であることを知った。だが、そのことについて詳しく知ることは、ウェブの世界でもあまりできなかった。
 ところが、ふとしたことから、本書にはいろいろ書かれているということを教えて戴くことがあった。ずいぶん分厚い本である。570頁を超える。普通なら、専門でもない世界に、しかも伝記的なもので、このほどのボリュームのものに、手を出すことはしないが、中古本で比較的入手しやすい価格だったこともあり、取り寄せることにした。
 驚いた。本当に、その信仰が詳しく描かれている。いつもならボールペンで線を引きまくる私だが、なんだか尊くて、ついにインクをつけることなく読み終えた。但し、フィルム附箋を、たぶん百枚くらい貼っている。
 貴重な写真の数々が、扉に続いて置かれているが、中扉にも、その時期の写真が掲げられる。本書は、大村はまの生涯を、時間順に区切ってあるため、言葉のアルバムを見せてもらっている印象すらある。その生涯は、「ことばを育て 人を育て」と副題に付けられている通りなのだが、それはまた「我が道を行く」に支えられてのものだというようにも私は理解した。
 キリスト者として、それは聖書から得た、というようなものではないと思う。信仰者として教義に基づきやり続けた、というよりも、徹底的に人を愛したのだと私は解する。実に、子どもたちに、言葉というものを通じて、生きる道をそれぞれが見出すように導いたのだ。
 著者は、大村はまに教えを受けた人。その最期の時期には生活自体を支えた功労者でもある。そして、私に本書を教えてもくださった人。別の本で関わりをもったことで、私の、大村先生の信仰についてどなたかご存じありませんか、というネット上での発言に、応えてくれたのである。
 そこで、先に著者について触れておこう。文句なしに、文章が巧い。表現が美しいというようなことももちろんだが、正確であり、そして、読む者の心をまるで熟知しているように、くすぐり、誘い、導いてくれる。それは、まるで自分の中にあるものをどう表現するかという作文の指導を子どもにしている大村先生の業、そのものであるようでもある。そこまで露骨に書かない、だが読者にはすべてが見えるように分かる。事の成り行きが、過不足なく伝わる。そのように文章を綴るというのは、並の人間にはできないことだ。読者が急ぎ足で歩かねばならないとか、案内が遅すぎて退屈だとか、どこを歩かされているのか分かりづらくて楽しくないとか、そんな心配が全くない読書というものは、そうそう体験できる者ではない。それを、本書はいとも簡単に(ではないだろうが)実現しているのである。
 だから、大村はまの、完全な紹介がここにできている。「完全」というと著者は否定するかもしれないが、読者たる私が、大村はまに出会ってその生涯を振り返り話して貰っている、まさにその臨場感が確かに味わえた、ということである。しかも、その話が全く淀みなく、するすると流れるように心に入ってくる。そこにご本人がいるということを、疑うことなく最後まで辿らせてもらえるなどという体験は、めったにあるものではない。
 そんな幸福な体験をしながら、私は寝る前に少しずつ、何週間も楽しみを伸ばすかのように読み続けた。もちろん、国語教育が主軸である。でもどこかに信仰の話がいくらかあるだろうと探すつもりで読んでいた。が、思いのほか、信仰の話が多かった。教会での奏楽を続けていたこともそう繰り返すわけではないが、人生のターニングポイントに信仰が働いていることが、随所で描かれている。どうしてそんなに大村はまの心が分かるのだろう、と本来不思議に思ってもよさそうなところを、本当にそう考えているものとして読み続けるばかりだった。いや、本当にその通りに考えていたに違いない、と、いまでも疑うことはできない。
 しかしそのようなことを記してばかりいてはならない。本書は、国語教育に対する熱いメッセージである。もちろん、時代の影響はある。大村先生にしても、その時代であるからこそできた方法であった、と見ることもできる。常に普遍的に成立するかどうかを決める必要はないであろう。受験目的を第一とはせずに、一人ひとりの子どもが言葉によって生きるようになることを、頑固に願い、そのためにできると思うことは何でもしてきた人である。そのための方法は、時代と共に変化するかもしれない。子どもたちの生活や考え方も、かつてと同じだとは限らない。
 だが、だからこそ、私たちは受け継ぐことができるだろう。この本にたっぷりと描かれた、愛の力を。読者に、それが伝わればいい。著者がそれを願ったかどうかは分からない。だが、その筆致に心を委ねることができた一読者は、そう確信する。愛の力よ、伝われ、と。
 本書の終わり方も、凄かった。涙が止まらなかった。よけいなことを書かない、そして必要なことは必ず書く。伝わるものは、そのストイックな表現で、完全に伝わる。文章というものは、なんと深いものであり、力になるものであることか、と感動する。これもまた、愛なのである。
 これだけの価値ある本を、私は見落としていた。それが悔しく、恥ずかしい。どうしてこんなに優れた本が、世間で話題にならないのか。もったいないと思う。




Takapan
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