『女の氏名誕生――人名へのこだわりはいかにして生まれたのか. 』
尾脇秀和
筑摩新書1818
\1200+
2024.9.
私はkindle版として購入した。先に、江戸時代の名前が明治政府により消されたことに焦点を当てる本を出しているというが、今回はさらに女性に絞って、その名の変化を説明してくれている。
殆ど「子」がつく名前が、子どもたちから消えている。クラスに1人いれば「おっ」と思う。但し、「莉子」「桜子」「奈々子」のような名前は検討しており、特に最近は「莉子」はかなり善戦しているという。「子」に対する見直しも一部でなされているようだ。
ちょうどこの本の発行時、NHKの大河ドラマでは、紫式部を中心に、平安時代が描かれていたが、中宮の定子や彰子が、訓読みで呼ばれている。古典を学んだときには、音読みで理解していたので、えらく新鮮だった。
その「子」は、漢字一字に付けられるもので、男の名と区別するための符号だったという。当時の貴族女性名は、「◯子」の形ばかりだったという。もちろん、全員がそうだというわけではない。どうやら、読みが不明になっていたため、「学術上は」すべて音読みで済ませる慣例が、江戸時代後期から現在まで行われているのだそうだ。ただ、貴族女性の場合、訓読みであるのだというから、ドラマの方が適切であるわけだ。
私の母の名には「子」が付かない。だが、伯母は、妹のことを「◯◯子」と「子」を付けて呼んでいた。長らく不思議だったが、本書では、そういう呼び方が普通になされていたということが記されており、合点がいった。
そもそも名前というものは、変遷するものであった、というのも驚くが、その道の人にとっては当たり前だったのだろう。目からウロコ、という言い方が近年当たり前になってきているが、読んでいると、多分にそういう気持ちになってくるものである。
歴史上の女性の名前について、言われてみればなるほどそうなのか、と思わされることが度々あった。もちろん、女の氏名だけに限らず、日本において名前というものがどのように見られていたかということについて、教えられることが多い本であった。なにしろ、ここには歴史的事実が淡々と示されているわけだから、個人の思いつきが並べられているのとは違うのだ。
本文に入り、1行目から、いい「つかみ」があった。「りん、れん、みく、みゆ、りさ、りな、りの、ちの、さな、もえ……。」これが1行目であり、1段落目である。これらはすべて、江戸時代後期にあった名前なのだという。今風に可愛い響きで好まれるような名前は、ずいぶんと古めかしい時代の名残なのだそうだ。
そこには、平仮名2字ないし3字での2音節が基本であったという暗黙の了解もあったというが、だからこそ、それに「子」を付けて愛称のように呼ぶこともあったわけだし、その他時代劇を見ていると、接頭語の「お」を付けて女性が呼ばれており、「おりん・おきく・おその・おりょう」など、抵抗なく聞くことができる。だが名前の本質的な部分は、他の2音節にあったわけだ。
人々は、家という束縛の中に生きていた。また、村という組織の中でこそ、生きる場所があった。名前は、そこで区別できればよいだけの符号である。武士でも幼名というものがあり、いくつもの呼び名で生涯を渡り歩くのが当然であったことが、少しでも歴史を学べば分かるけれども、「家」の中で、「名」はその時時に相応しく展開していったようである。
そうすると、「名」というものは、どういうふうに捉えられていたのであろうか。個人を尊重する唯一の「名」という捉え方はなされていない。実体としては、「家の名」があればよかったのであろう。
さらに、そもそも多くの人が、文字が読めるわけではなかった、という背景がある。漢字をどのように宛てるか、ということについては、非常に緩やかであり、いわばどうでもよかったのだ。だから、漢字の字体の違いを厳密に区別しようとする現代とは異なり、同じ漢字でも実に様々な漢字の使い分けが自由になされていたため、これが戸籍制度の中で一つに定められた明治以降になって、問題になってくる。本書は、古い文書については写真で記録が写されているからよいようなものの、文の中で述べるときには、通常活字として用いられないような字体の漢字がたくさん盛り込まれている。「あとがき」で、その件で出版社に労苦を強いたことを、著者が詫びるようなこともあった。実際、電子書籍をパソコンで見ると、その字体が現れないことがある。kindle本体では適切に読めるから、そこは専用機の強みであろうか。
そのような名に関する歴史を説くのだけが、本書の意図であった、というふうには思えないような読後感がある。明治政府が規定したのは、名前による管理であり、従来の日本文化にある氏姓制度をも抽象して、全く新たな仕方で人民の支配を企図したのだ、という点を強調することが、どうしても心に残る。いまの人名用の漢字や常用漢字についての経緯についても、終わりの方で丁寧に説明されているので、近代から現代にかけての漢字の使用についての考えも辿ることができる。
「家」を守るためには、養子制度も当たり前であり、血筋よりも重んじられていたのが伝統であった。日本史を貫く「氏」や「姓」、それから現れた「苗字」というものについても、本書は詳しく説明してくれている。ただ、女性の名前に話題を集中しているため、その「家」に入る女性の姿について、より詳しく書かれている点が、本書の特徴である。結婚して新たな「家」の一員となるが、本来の生家の「苗字」であるべきだ、という理解も進んでいたというから、現在議論されている夫婦別姓問題も、かつては何も問題がなかった、というような辺りも、興味深く聴かせて戴いた。
ともかく、今の「氏名」が日本における「名」のすべてではない。
ファンタジー物語でも、「名」には何かしら力があると考えられることが多いが、聖書でも「神の名」というものに力があり、権威がある。この「名」についても、日本人は果たして適切に理解しているかどうか、疑わしい。私たちはいま当たり前のように思いこんでいることが、かつては全く思いもよらない考え方であった、という点など、歴史の中からいまの自分の特殊性を知ることも大切なのだ。その上で、聖書は聖書で、どのように「名」を示しているか、知ろうとしなければならないのである。
なお、今風の「キラキラネーム」という呼称が、マスコミが元来の指摘をソフトに直した表現であるということが、はっきり書いてあるのを見た。もっと蔑称として扱われていたのが最初だったのだ。昔と異なり、安易に名が変えられない現代、子どもにつける名前というのは、責任が重大であることを、改めて感じるものである。

た
か
ぱ
ん
ワ
イ
ド