本

『女ことばはどこへ消えたか?』

ホンとの本

『女ことばはどこへ消えたか?』
小林千草
光文社新書310
\892
2007.7

 錯覚なのかもしれないが、私は、まだこの女ことばが十分使われていた中で育ってきたような気がする。「よくってよ」というふうな響きも、たしかに日常の中では薄かったように思うが、見聞きする物語やアニメやドラマなどで、聞いていたように感じている。しかし、それはこの本によれば、ずっと古い時代なのだという。せいぜい、ギャグめいて使われていたのが最近あったことなのだそうだ。
 それはそうとして、ここで、百年前の証拠として取り上げられた、夏目漱石の小説に、私は親しんでいた。それゆえに、その言葉を日常のどこかで耳にしていたような、錯覚を抱いているのかもしれない、と言ったのだ。
 さらに、その百年前の式亭三馬の中からも、検証する。こうなると、文学に精通していないと、すんなりとは読み進めないもどかしさがある。
 だが、本のスタートにおいて、現代の女性たちの生の声が集められているために、読者はさほど違和感は覚えないのではないかと思われる。文学の部分は、事細かに追いかけなくても、筆者の伝えたいことは、十分伝わってくると考えられるからである。
 日本語は、その書きぶりにおいて、話者が男であるか女であるか、判断できていた、というのがかつての文学であった。だが、今やそれが通用しない。私も、教材として取り上げられた小説の会話を、てっきり男だと思って読み進んでいた中で、後からそれが女生徒の発言であることを知って戸惑ったことがある。こうなると、西欧語と同様である。会話文からは、性別が確定できないという意味で。
 たしかに、かつての女ことばがそのまま残るべし、というのは時代に逆行するだろう。しかし、現代の学生にしても、この教授のもとで学ぶうちに、言葉遣いを正すことに意義を見出していく声が伝えられてくる。言葉が、その人を表すようになっていく。ふだんはいい加減でも、ちゃんとしたときには正しい言葉が使える、というふうには、なかなかいかないものである。
 言葉はまた、時代を表す。私たちの時代がどのような時代であったのか、また百年後に振り返られたときに、女ことばと共に、明らかにされていくのではないか、と筆者は語る。そして、逆に男の言葉もまた、問われているのだ、というふうなことを告げる。今の時代に女ことばを最も的確に話しているのは、ニューハーフであるというくだりには、笑えない思いがしたが、たしかに男社会がどうなっているのか、とにかく言葉たるものが、私たちがふだん感じる以上に、重要な意味をもっているのではないか、という気がしてならなかった。
 生まれ育つ子どもたちが、最も身近に聞く言葉である母親の言葉が、まるで子どもに刃を向けているかのような響きのものであってほしくはない、とだけは、筆者と同様に、強く願うものである。




Takapan
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