本

『母 ―オモニ―』

ホンとの本

『母 ―オモニ―』
姜尚中
集英社
\1200+
2010.6.

 政治学の方面で多くの発言をしており、テレビへの露出度も高い。日曜美術館の司会をしばらく務めたこともあり、夏目漱石についての紹介番組を担当したこともある。何より、著書が豊富で、その中には小説もある。というわけで、その初の小説が、この『母』である。
 自分の生い立ちを、母を軸にして描いたというもので、創作的な困難はなかったと思われるが、しかし小説としてもなかなか味があるし、内容もドラマチックだと感じた。小説の魅力である冒頭も、唸らせる。
 母。それは、いつの時代も子供たちの心を虜にせずにはおかない。幼少の頃、子供以外の何者でもなかったすべての者にとって、母は絶対的な存在だったはずだ。たとえそれが、激しい愛憎をともなっていたとしても。
 こういう具合である。この「母」の題には「オモニ」という副題が付いている。これは副題というよりも、「母」をそう読ませたと考えたほうが適切であろう。母の死を描くことから始まった小説は、その生涯を振り返る。それは、著者自身がまだ生まれる前からのことであった。
 この母、韓国で生まれたが、韓国併合という歴史の中にあって、朝鮮人は強制移住させられていた、そこで生まれたのだった。太平洋戦争が勃発する年の初め、父になる男と知り合う。貧しさのために日本に出稼ぎに来ていた彼のもとへ、母になるその人は嫁ぐ。
 それから熊本の地で、戦争をかいくぐり、生まれた子を喪い、また親戚との助け合いやすれ違いなどを重ねつつ、やがて生まれた著者の視点で、大人社会が観察されていく。 
 熊本生まれの著者であり、舞台は基本的に熊本である。会話は熊本弁で交わされる。福岡にいる私にはあまり抵抗がないが、それでも「むぞらしか」のように、福岡で使わない言葉もある。しかし著者は一切説明じみたことはしない。九州の言葉に馴染みのない方には、いっそう難しく見えるかもしれないとは思ったが、おそらくそんなことは関係ないのだろうと思う。それほどに、ひとの心を思う優しさに、本作品は満ちている。
 悲しい別れが最後に襲う。だが母との別れは、すでに冒頭で十分描かれている。著者は日本名で育てられてきたが、成長してから、自ら本名を名のることを選ぶ。それが姜尚中である。文字を読む教育を受けなかった母は、勉学に励み立派になった息子と、その決意とを喜びつつ、カセットテープに吹き込んだ声があることを、著者は後に知る。切なく響くその声は最後に、ニホンもチョーセンもない時代になる、それを絶唱のようにして告げ、オモニは物語の舞台から去る。
 有名な本でもあったから、ずいぶんもう多くの方に読まれているのだろうと思う。いまさら私が読んだのが遅すぎるくらいだ。私は次の作品『心』を読もうとして、先にこちらを、と思ったのだ。この生い立ちの記ともいえる記念碑が、次の作品をも裏から照らす光となっているような気がしてならない。誰にとっても、母の思い出というのは、かけがえのないものである。それは確かに、冒頭の言葉にあったものなのである。しかしまた、これは朝鮮と日本との関係や当時の出来事についてを教えてくれる本でもある。かといって政治的な内容を秘めたものではないし、政治学者として著者が懐くようなものは特に強調されているわけでもない。ただ、日本人の女性を妻にしようとする場面で親が心配したくだりを含み、何かしら懸念が当然あっただろうものを、決して一緒になれないようなことはないのだという決意を実践していくところに、未来への道を見出したいものだと思う。キリスト者としての著者の思いも、そんなどこかに隠れているのだろうか。




Takapan
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