本

『お年寄りと話そう』

ホンとの本

『お年寄りと話そう』
日野純子
春風社
\1680
2009.1

 この本自体をお年寄りが読むのかと思われるほど、文字のポイントが大きく、行間もゆったりしている。ということは情報量が少ないということで、どうりで一冊があっという間に読み終えられたはずだ。ちょっと値段が割高かな、と思った。
 内容も実に素直で、ことさらに多くのことが学べるわけではないと感じたが、いざお年寄りとのおつきあいのない人にとっては、これは新鮮な知識ばかりだと思えるかもしれない。それは読者の個人的経験や背景に基づく感想となるだろう。
 ゆっくり話すとよいとか、カタカナ語は言い換えてとか、ごく常識的なことがまとめられているに過ぎないようにも見える。だが、著者は、元来外国人に日本語を教える教師だという。つまり、感覚としては、外国人に日本語で話しかけ、教えるのと同じことを、お年寄りに対して実行しているようなのである。これは一つの知恵である。
 だから、よけいなことを言わず話を簡潔にするなど、相手を混乱させないために話をまとめる努力を、話す側がしないといけないという視点にも立っている。これもまた、お年寄りの場合と同じなのである。
 このような、経験的な知恵が20集められており、それぞれ一読して理解できるし、心がけておくにはこれくらいの数が限度であろうと思われるけれども、気になったことがあった。それは、20ある中で、お年寄りの話を「聞く」ことについての知恵が、四つしかないのである。コミュニケーションをはかるという大きな目的のために、これでよいのだろうか。話すことが16で、聞くことについての注意が4。若い者が、お年寄りに話して言って聞かせることが、お年寄りから聞くことよりも、4倍も多いというバランスで、よいのだろうか。
 もちろん、その17番目に、話し上手は聞き上手などと書かれており、傾聴という言葉の意味を紹介している。だが、つまるところ、これがすべてだと言えるのではないだろうか。たしかに単なるノウハウであれば、このことは20分の1なのかもしれない。だが、お年寄りの側が、どうせ話しても通じない、と沈黙をきめてかかり、いわば引きこもるような社会になったら、非常に危険なことにならないだろうか。若い側がお年寄りたちをうまり利用するための方策ならともかく、高齢化社会の中で共存していこうとでもするなら、どう言えばお年寄りに通じるのか若い側の話すことにばかり関心を置かないで、どうか聞くとはどういうことか、にもっと気を払ってほしい。聞かなければならないのだ。
 たしかに著者は、心を通い合わせることの大切さを掲げ、お年寄りがコミュニケーション的に弱い立場にあることを鑑み、寄り添うような配慮が必要だ、と説いている。その気持ちがあることはうれしいが、日本語教室のプロという立場が、日本語を教える目的を大上段に構えていることができるように、若者のほうがお年寄りに教えるという空気をどうしても抑えることができなかったのは、少しばかり残念にも思えた。
 お年寄りが話す内容は、もともと弱く矛盾ばかりである、という偏見をもたらすような書きぶりであったのも、気になった。そういうお年寄りも、いるにはいるだろう。だが、だからといって、お年寄りの話はそういうものなのだ、と若い読者に植え付けるとしたら、もっと残念である。若者の聞く力、理解能力のほうが、遙かに劣っているのではないか、という疑いすらあるからだ。
 一見、よいことが書かれてあるようだから、少々辛口に捉えて評した。すべて私の勘違いに過ぎないのであれば、それはそれでよいと思う。




Takapan
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