本

『老いる覚悟』

ホンとの本

『老いる覚悟』
森村誠一
ベスト新書330
\800
2011.5.

 KKベストセラーズの新書は読みやすい。行数が少ないのか、文字が大きいのか、すいすい読める。実に柔らかい食物である。この本にしても、読むスピードはこんな私でもあっという間だった。
 かといって、内容が軽いとか面白みのあるものだとかいう必要もない。タイトルからしても、ずいぶんと重い響きである。できるならば目を背けたいもの、なるべく考えないようにしておきたいもの、そういう世界の話である。だからこそ、そこに否が応でも足を踏み入れていかざるをえない自分の人生にとって、それへの「覚悟」が必要なのである。
 本書のキーワードは、もちろんテーマとしての「老い」であるわけだが、当然「覚悟」のもつ意味は大きい。「老い」そのものは極めて明白なのだが、この「覚悟」は判然としているわけではない。
 筆者は、東日本大震災を見ている。そこから、この「覚悟」という語を中心に据えることを考えたのかもしれない。少なくとも本の構成の上ではそのような順序で考えていっている。まずは「覚悟の時代」の開始を告げる。そして覚悟のある老いを、前向きな生き方とも言えるような形で描き出す。その具体的な色づかいは、続いて「老いを迎える」「老いと向き合う」「老いを孤独と知る」「老いを友として生きる」「余生でお金とつき合う」「健康である」「生涯現役で生きていく」との章立てで、具体的な老いの中での生き方が示される。さして論理的に並んでいるわけでもなく、文学者としての直感で並べられているように見えるが、そこには老いることから逃げるでもなく、あがくでもなく、前向きに受け容れていく「覚悟」が多角的に述べられている。なかなかよい視点を与えてくれるものだと思う。
 ベストセラー作家である。淡々と綴りながら、伝えたいことを余すところなく描くのが実に巧い。連載を複数抱えないのが自分の立場だと言ってのけるのには、まさに「覚悟」が伴っているのを感じた。単一の連載だけを請け負っておけば、急に死んだとき、未完作品が一つ遺るだけとなるが、複数連載だと、いくつもが未完になってしまう、というのだ。まさに「覚悟」というのは、そういうことを言うのだろう。自分の死をも事実として受け止め、そのときにどう見られるか、まではっきりさせようとしているからだ。
 これは、その当人の「覚悟」なのであるから、とやかく外野が口出しをする必要はないのだが、私が個人的にひとつだけ残念に思えてならないのは、筆者が、宗教に価値を認めていないところである。何らかの「来世」をぼんやりと想定しつつも、宗教の教えは証明できないから、信じられないのだと言う。伝聞がひとり歩きをしているのが教義だとして、未来への恐怖や不安をやわらげてくれるもので、老いて弱くなった心を支えてくれるのだから、宗教を選ぶのも覚悟であり、選ばないのもまた覚悟であるだろうと語る。そして筆者は後者であると断じている。何かしら科学的または論理的あるいは実証的な証明に基づいて信があるとの誤解もそこにはあるが、宗教を心理学的な効用のようなものだと決めてかかっているのが、残念でたまらないのだ。もちろん、そこにはある種の「悟り」のようなものや、「出会い」のようなものを経験していない人が共通にもつ宗教観が強く支配している。だが、宗教とはこんなものだ、と、信の経験のない人が決定することは、やはりできないはずなのだ。フランスに行ったこともなくフランス人を見たこともない人が、噂だけでフランスとはこういう国だ、と決めつけることができないのと同様である。それはまた、筆者自身が、来世について証明できないではないか、と訴えているのと同じであるかもしれない。宗教はこの筆者の想定しているものだ、ということは、証明されていないのである。
 もしかすると、そこのところで、この、老いに対する「覚悟」というものは、すべてが覆されてしまうかもしれない。筆者の「覚悟」は、この基盤のない覚悟であり、実利的な、実証的な世界、喩えのようにいえば、「見えるものについての覚悟」に過ぎないのかもしれない。「見えないものについての覚悟」を、古来人は多くもっていた。これを一様に無価値なものとしてしまうところに、現代の「覚悟」の虚しさが潜んでいるかもしれない、と私は感じた。




Takapan
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