本

『老いを生きる』

ホンとの本

『老いを生きる』
加藤常昭
キリスト新聞社
\1400+
2010.11.

 キリスト教カウンセリング講座ブックレット17。だがシリーズの中でも少々違った雰囲気のものだという。カウンセリングの実際は、基本的にどこにもない。牧師が「老い」についてどう考え、それをどう示し伝えてゆくか、ということが書かれている。全編が、「老い」に関する説教であるかのようでもある。
 そのことは、サブタイトルにも現れている。「教会の課題、キリスト者の課題」と付けられている。これは完全に、教会論である。
 あとがきを含めて117頁までの本は、A5サイズではあるが字も大きめで、行間もゆったりしている。正に、年齢を重ねた方にも優しいタイプの本である。しかも、中には聖書箇所や、他の本からの引用がいろいろあって、著者の加藤常昭先生自身の説教はその分量が削られている。だが、そこからどれほど慰められただろう。力づけられただろう。それらは筋が通る話の中で結びついて零れてきたものである。様々な人の実例が、つまり人々の人生がこめられており、聖書とがっぷり胸を合わせて歩んできた著者の、牧会者としての歩みが練り込まれた文章である。
 そして、執筆時には齢八十を数えているはずである。自身の問題としても向き合っている「死」という問題との闘いとでもいうようなものが、底流にあると言ってよいだろうと思う。人生を振り返りつつ、多くの出会いと、教会形成の経験とを塗り込めながら描く絵は、どうか直に触れて味わって戴きたい。ただの人生論でもないし、ただの教会論でもない。ただの社会論でもないし、ただの評論でもない。いろいろな景色を見せられながら、私たちは結局「愛」という駅に着く。その体験を、読書によって知ってほしいのである。
 とはいえ、本書の流れは、目次に従ってお伝えしてもよいかと思う。まずは、元牧師としての著者の視点が明かされる。また、本書の執筆姿勢や願うところなどが、ざっと示されていると言ってよいだろう。
 続いて、「高齢化」の問題と向き合う。そして「老いを生きる」というその生き方では、実のところ「信仰」が問われるのだ、ということを、説得力豊かに語る。
 中程には、旧約聖書を何カ所か引用する。説教黙想のような、しかし力強いメッセージである。ここは、純粋に聖書の説教のように捉えても悪くない内容である。聖書が解決を図る、「老い」の勝利を指し示す。神の言葉の勝利に、それは基づくものである。
 教会もまた一般に高齢化の中に置かれている。若者を招きたい、あるいは招かねばならない、というのは本当だ。だが、そこに「高齢者伝道」というものの必要性を訴える、勇気ある発言となっている。そして、魂の配慮としての牧会による、教会形成が、希望と共に語られる。そこには、教会の実際的運営の背景にあるものも顔を覗かせる。ふだんの礼拝説教では決して明かされないような、教会の実情も零れてくる。説教集や他の著書ではあまり出てこないであろうようなことを、見ることができたような気がした。
 教会は、「慰めの共同体」である。加藤先生の本をいろいろ知っている方は、ある意味でふだん述べているような要点が、こうして並んでいるに過ぎないようにも見えるかもしれない。だが、本書の中ではあくまでもベースは「老い」である。その的を外すことは決してない。
 だから、この教会において、「老いにふさわしい愛を生きる」ことを提言する。それが、「老いを生きる」という課題についての、ひとつの解答であろう。そして、実のところ個人においては最大の問題である「死」については、そこに恐怖が伴うことを軽んじることは決してない。だが、思えばキリスト者は洗礼を受けている。これは、溺死することを意味する。また、救いというものについては、自分に死に、キリストが生きる、そういう経験をしていることが基本である。それならば、私たちはもう一度死んでいるのだ。そのことを、「もう死に終わっている」と表現した最後の方の箇所は、私には忘れられない。
 結局、結論はいつでも同じとなるだろう。罪に死に、復活の希望の中で、神から受けた言葉を語ること。そのような生き方をすべく神に選ばれた者たちが、慰めというものを真に知る教会という共同体の一人ひとりとして喜び愛し合うのである。
 だいぶエッセンスにも触れてしまったが、粗筋が見えても、本文の味わいに勝るものは少しもお伝えできない。救いはもちろん、キリスト教会の行方への眼差しも含め、薄い本ながらも、加藤常昭先生の、キリスト者と教会に伝えたいものが、ここに凝縮していたと言えると思う。教会の読書会にも、最適ではないだろうか。




Takapan
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