本

『現代牧師烈伝』

ホンとの本

『現代牧師烈伝』
新井登美子
教文館
\1500+
2006.7.

 佐藤敏・宮本俊一・勝俣慶信・小坂忠・関根一夫・渡辺暢雄・尾毛佳靖子・山中正雄・平良愛香・高橋敏夫。この十人を著者は選出し取材した。「治癒と希望の物語」という副題が掲げてあるが、これはもしないならないでも十分パワフルに伝わるものがあったと感じる。
 発行時のことを知らないが、十数年後に手に取った私は、まさにこの今に活躍している何人かのお名前も拝見し、親しみをもって読むことができた。が、案外その方の証詞や生き方について、知るところがないものである。改めて、そんなことがあったのか、と驚くこともあった。
 その意味で「列伝」と呼ぶに相応しい内容となっていると思う。
 本書の特色を申し上げると、とにかくライターの文章が巧い。この方がもし私を取材されたら(そんなことはないだろうが)、きっと魅力的な人物にも描かれるのではないだろうか。もちろん、ここに挙げられた十人の牧師は、それぞれに魅力がある。だからなおさら、その描き方によって、眩しい輝きを呈しているのではないかと思われる。時にドラマチックに、時にもしかすると牧師当人すら気づかないような視点で、場面を見事に描ききる。それは下手をするとベタな、オーバーな演出となる可能性があるし、私が記すとそうなるのだろうと思うが、実に自然に、著者は描く。これは天性のものではないだろうか。
 著者自身、心身共に様々な苦労を背負い生きてきたのだということが、「あとがき」に書かれている。実はここを読むと、副題の「治癒と希望の物語」という言葉の重みが感じられるのではないかと思う。そして、牧師という立場ではないにしろ、取材した方々と似た意味での「列伝」に、さりげなく参加するのだ。だからここも読み応えがある。
 これらの牧師は、著者の生活する関東圏に、取材の都合で絞り、年齢や性別などに偏りがないように考え、打診したが、結局可能となった方々のうち女性は一人にしかならず、思った通りにはならなかったことが告白されているが、それも導きだったのだろう。事実、女性牧師はやはり多くはない。
 それにしても、選出された牧師、それぞれに問題を抱え、挫折を経ての現在であることに驚く。すんなりエリートコースで進む牧師ばかりでないことは当然だが、たんなる個人的な悩み云々というレベルを超えて、よくぞこれだけの人生経験の中で牧師になったものだと感嘆するような歩みを、多くの方が経ているというのは、どういうことであろう。多少そういう経歴の見え隠れする方にアプローチしたというのはあるにしても、ここも著者の人柄であろうか。苦労した方は、苦労した人間が分かるものだというから。
 牧師は聖書をよく学び、悩みを抱えつつも、神の声を聞き導かれて牧師になる。おおまかにいうと、そんなイメージがあるかもしれないと思う。しかし、様々なタイプがあるのも確かである。神は一人ひとりに、驚くべき業をなさる。この人はこうでなければ牧師にはならなかったのだろうと傍から見るのは簡単だが、それぞれがひとつのドラマにきっとなるだろうような、そして本人が牧師になりたいとか神の言葉を語るのだと意気込んでいたとかいうのとは縁遠いような、嵐の中を連れ回されてここに至ったというような過程を、私たち読者の目の前に提示するのだ。それは、ライターとしての力量もあるだろうし、傷みの分かる方ならではの、適切な表現であったのではないかとも思われる。
 平良愛香牧師は、初めて同性愛者であることをカミングアウトした牧師である。これが十数年後のいまでこそ、表に出たり受け容れようとする声が挙がっていたらもするが、それでも誰もがよしとはしない現状がある。当時の風当たりはいかほどであったものかと思われる。著者はこの人をも選び、見事に描いた。まさに未来を描いていたのだと私は感服する。
 ここには、神がこれをなした、というふうな信仰の列伝はない。人間牧師を描きたかったという著者の気持ちが十分伝わってくる。そのための、ドラマチックな表現であったかもしれないが、それは決して偽りでもないし、演出でもない。普通「列伝」と表記すべきところを「烈伝」としたのも、その強烈な生き方、激しい人間の闘いというものを物語っているのではないかと思われる。
 まだまだ色褪せない。というより、時が立てばそれだけ、需要のある記録ではないだろうか。その意味では、出版当時は、時期が早すぎたのかもしれない。私が古書店でこれを見つけたその時が、熟れ頃であったのかもしれない。私がいま見ている情況で、状態の良い本が、インターネット販売で入手できる。傷みを覚え悩みの中にいるキリスト者にとり、これは助けになる本ではないかとお薦めしたい。




Takapan
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