本

『女のいない男たち』

ホンとの本

『女のいない男たち』
村上春樹
文春文庫
\680+
2016.10.

 2014年に単行本化された、6つの短編集。浮気や婚外の関係がつきまとうものが目立つが、特別に異世界の物語というものは殆ど感じなかった。それが全くないわけではないけれど。また、村上ものにありがちな、何がどうか解決したか分からない、つまり落ち着き所のないストーリーというほどの毒気がいくぶん和らいだように個人的には感じた。もちろん、如何にも結末らしい結末が待っているわけではない。謎のままに終わり、続きは読者の心の中で続ければよい、というような突き放し方でもあるのだが、それでも今回の作品たちは、私なりに納得のいくものが多かった。今回は、ネタバレ覚悟で物語の展開を示す。
 舞台俳優の男が、いまは亡き妻と別れた経緯を、専属の若い女性運転手に話す場面が多い「ドライブ・マイ・カー」。彼が唯一友人となった男は、その妻の浮気相手だった。運転手は、女について、えぐるような指摘をする。彼女と鋭い点を貫くような対話を繰り返すことと、それからなんといっても、その浮気相手と友だちになるときの様子と、相手を観察している男のものの見方などがいかしている。これはストーリーというよりも、一つひとつの描写と、そのときの心理のどきどき感などが楽しませてくれる。妻を寝取ったその男に対して、どのような感情を懐き、考えを述べていくことができるのか。それがねちねちと塗りたくられていることに、しばらく付き合うのがよいだろう。
 次の「イエスタデイ」は、私がとくに心惹かれた作品である。ビートルズの「イエスタデイ」に奇妙な替え歌をつけた男は、阪神タイガース好きなゆえに、東京の田園調布の人間なのに、外国語として完璧な関西弁を身につけた。僕は彼と同じ喫茶店でアルバイトをしていた。年齢は違わなかったが、僕は大学生で、彼はまだ大学生ではなかった。彼は同級生のガールフレンドのように大学に合格できなかった。しかし現大学生の彼女がほかの男とくっつかないように、僕に彼女とつきあってくれないか、と妙な相談をもちかけられる。やりにくい僕は、とりあえず一度会ってみるが、別に何をどうすることもなかった。ところが、半月後、彼は喫茶店のアルバイトを突然辞めてしまう。そして突然16年後、僕はその彼女と偶然に出会う。そしてあの時の経緯を知ることになる。あのときのことを思い起こす僕の心が、最後に美しく描かれていて、印象的であった。これは非常に落ち着いた展開と結末であったと思う。
 その医師は、女性との関係には不自由していなかったが、それはまた、惚れるようなことがなかったが故であった。だがあるとき、恋い焦がれる思いを懐いてしまった。相手は16歳年下の既婚者で、子どももいた。彼女とは肉体関係をもったが、この先どうなるかはまるで分からない。その夫の浮気をきっかけに、そのような関係になったというのだ。文士の僕は、この医師とジムで知り合っている。まるで村上自身のような語り手であるが、医師は自問している。「私とはいったいなにものなのだろう」と。その後しばらく顔を合わせなくなったと思ったら、医師の秘書から、医師が亡くなった知らせを受ける。それはまるで恋煩いのようであったという。女性は何か特別な「独立器官」をもっているのではないか。それがこの物語のタイトルであった。
 千夜一夜物語をご存じであれば、またリムスキー・コルサコフ作曲の交響組曲から、見当がつくであろうが、「シェエラザード」もまた、私の心に強く残った。主人公の男は、「ハウス」に収監された生活を強いられている。それの監視役として派遣されたその女は、週に二度世話をしに来るが、その都度男の性欲を放出させる役割も担っていた。彼女の名前を知らないので、男は「シェエラザード」と呼ぶことにした。行為としては味気ないことを毎回繰り返すが、その都度一方的に気になる話をもちかけるのだ。そのうち持ち出してきた話は、高校生のときに、好きな男の子の家に忍び込む機会ができてから、彼の持ち物にフェチ的な感情を爆発させ、彼のものを持ち帰り、自分のものを置いていくという、ぞくぞくするような経験をする。そしてこれがエスカレートしていく、その話を次々と話して聞かせるのだった。さすがに大きな盗みをすると家の鍵がつくりかえられており、以後侵入はできなくなる。すると、男の子への感情も薄らいでいったというのである。男は、シェエラザードのことを思うと、いつしか失うこの関係、また女というものについて暗い考えに陥るのだった。
 次の「木野」がなかなかミステリアスである。妻の浮気で家を飛び出した木野という男の物語である。木野は、傷ついて然るべきだったのに、自分は気づいていないと自分に言い聞かせてきたのだった。木野は、生きるためにバーを開く。村上自身がジャズ喫茶を営んでいた体験がふんだんに活かされているように思える。商売気のない店ではあったが、そこに常連もできる。カミタというその男は、あるとき機転を利かせて、言いがかりをつけられた木野を救うが、そのヤクザめいた相手と外へ出た後、もう二度と彼らは来ないと涼しい顔で戻ってくる。店にはよく猫が来ていたが、そのときから猫が来なくなる。また、店に来ていた曰く付きの女と関係をもつ。やがて、蛇なんぞが現れ始めた。するとカミタは、直ちにここを捨てて逃げろと言う。木野はそれを信じて出ていく。ある日、泊まった粗末なホテルで寝ていると、気味の悪いノックの音が続く。その恐怖の中で、木野は、自分が傷ついていることに気づく。
 最後は、雑誌に掲載されたのではない、書き下ろしの、そして単行本のタイトルにもなっている「女のいない男たち」である。突然、妻が自殺したと知らせる男からの電話を受ける。それは昔の恋人の名前の人が死んだという知らせだった。しかし彼女が結婚していたことさえ知らなかったので、どんな経緯で電話をかけてきたのか、全く分からない。14歳のとき、さわやかな彼女に僕は、性欲抜きの恋心を懐く。彼女は突如いなくなるが、後に彼女と会って関係を結ぶが、また別れることになる。世界を冒険するかのような象徴的な表現が多く、このあたりの事情には具体的な姿がない。いまその死の知らせを受けて、ある日誰もが「女のいない男たち」のひとりになるだろうと考える。その後、彼女のことを今度はいきいきと思い返し、思い出に浸るのだった。
 必ずしもさわやかさを連れてくるものではないが、いずれも心に残るものを与えてくれた。それにしても、「イエスタデイ」を歌った関西弁を学んだ男が、とても切ない。それとも、私はそこに自分を見出したのだろうか。そうかもしれない。




Takapan
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