本

『脳に刻まれたモラルの起源』

ホンとの本

『脳に刻まれたモラルの起源』
金井良太
岩波科学ライブラリー209
\1260
2013.6.

 刺激の多い本であった。サブタイトルに「人はなぜ善を求めるのか」とある。「善とは何か」というのが、通例の倫理なり哲学なりの問いであった。そして、善を求めるといういわば心の働きについては、確かにプラトンが魂への考察をするときに触れないわけではないのだが、その後の歴史の中でも、せいぜい神話的に、あるいは心理的にたどるというのが精一杯であったのではないだろうか。それを、脳科学の問いとして提示したのが本書であり、著者の研究路線であるのだという。
 それは、哲学への挑戦でもあった。そもそも哲学の問いというのが生ぬるい、人間の脳について調べることなく、それぞれが違った思考をもつ多様な人間が自分の価値観や信念から持ちだしてくるような意見の衝突を、不毛に繰り返してきただけではなかったのか、というような意気込みである。
 正義論は、近年マスコミでも取り上げる機会が多くなり、また本としても売れるものが現れて、いくらかの関心を呼ぶようになってきた。しかし、依然としてこうすべきだという決定打ができているわけではない。現在のところそれは民主主義という正義の場において、多数の支持を受けた考えが社会的に遂行するというだけで通用している。それが究極的な善であるという裏打ちはない。あるのはただ、人はそれなりにその都度その場所で、善を求めている、あるいは求めていると信じるしかないというだけである。
 しかし、その政治的意見でさえ、脳の構造や状態により、ある程度方向付けられるというのがこの本の研究素地である。保守的思考をするのか、革新的思考をするのか、脳の調査で見えてくるのだというのである。
 たしかに、いくら良い考えだと自分に思われたことでも、人に説得しようとしてどうしても受け容れられないということは、よくある。宗教的なことについてはなおさらであるが、政治的にもまさにそうである。その原因が脳に還元されるというのだから、これは展開次第によっては人の自由の問題にもつながっていく。しかも、著者自身触れていることだが、これは利用法によっては、ひじょうに怖いことになっていく可能性があると言えるだろう。
 その傾向は、保守云々に留まらず、他人の評判を気にするかしないか、その違いへと流れ、またそれは人の視線をどう受けるかということにも言及されていく。心を閉じて、人からの視線を有しないようになっていくことは、たしかに心に影響を与えていくというふうにもなる。
 こうして、さして長くもない本書の記述では、表面をさらりと撫でていくだけになるのだろうが、行き着くところは、幸福の問題である。人は何を以て幸福だと感じるのか。自分の幸福はどうやって認め、また目指すのであろうか、というものになる。これもたしかに、カントが目指した幸福が、目指すべき幸福であるというよりも、法則に従う結果として要請されるものであったように、その人の行動原理により扱いが違ってくると言えるかもしれないのだが、それでも、脳が何を幸福と認めるかという視点に終始しているわけで、なかなか興味深い方向性となっているといえる。おそらく、著者の関心あるいは目指すところというのも、そのあたりにあるのだろう。著者は、そこに、人間関係と自己実現というキーワードで捉えようとしているかのようにも見える。後者は、ギリシア語の「エウダイモニア」(幸福)をヒントに考えていこうとしているようだ。
 たんに自利のみならず、他者の利益を重要と考えるかどうかさえ、脳により差異があるのだという。幸福感は、他者の幸福にもつながるものとして抱きたい、というようなところであろうか。こうなると、幸せは二人で二倍になるという、よく言われるような感覚も、なるほど適切であったのだという気がしてくる。また、多くの倫理思想の中で論じられていることも、相応しく関わってくるようにも見えてくる。はたして脳科学のほうが原理であるからそうなのか、脳科学がそういう思想に合致するようになったというわけなのか、そこは定かではないが、私はふと疑問に思った。
 もちろん、著者は脳を見ればすべてが分かるなどという極端なことを言っているわけではないのだが、それでも、新約聖書は、心の一新ということを述べ、イエス・キリストに出会うことにより心が180度変わることがある、いや、それがなければ信じたとは言えない、という考え方をとっている。脳が変わるのだろうか。それともそれさえ変えてしまうほどに、神はいうなれば奇蹟を行ったとしてよいのだろうか。奇蹟は、当たり前とは違うことである。脳科学からの常識が、ある出合いで転回する人の魂や精神についても、常軌を逸した事柄であることを認めてくれるのだろうか。
 本書の最初のほうにみられる、どこか過激な脳科学からの倫理一般への挑戦も、だんだん末尾に近づくにつれ、きわめて伝統的な倫理や哲学に寄り添ってくる、あるいは著者自身の信念が見え隠れしてくる、そういう構成の中で、改めて哲学の伝統の中の問いが死んでいないというふうにも私は思うので、著者に訊いてみたくなる。このように脳科学により人間の思想の歴史が変えられると考える著者自身の脳は、どうしてそのように考えるのであろうか、と。
 神はその脳も創造し、そして脳をも一新するとすれば、やはりかつてから言われていることと、多く違いはないようにも感じたのだが、しかし刺激的な視点であることは間違いない。ひとつ開いてみて損はないものと思われる。




Takapan
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