本

『日常』

ホンとの本

『日常』
益城町
熊日出版
\1000+
2026.3.

 2026年、熊本地震から10年という節目に、ひとつまとめ上げられた、益城町の人々の思い。地震の被害のレポートを載せているのではない。選ばれた30の人とグループの経験したことが集められた、美しい本である。
 B5大で、良質な紙で全編カラー写真入り。どう紹介してよいか分からないのが正直なところだ。とにかく、最初から最後まで、心がこもっていて、美しく、切ない。否、適切な言葉が見つからない。特別なことが載せられているわけではないし、ドラマチックな物語に出会えるというわけでもないだろう。だが、こんなにいい本はない、と強く思う。
 題が「日常」ということも、ジンとくる。「日常」の意味については、「おわりに――本書にこめた想い――」に、しみじみと書いてある。初めに読んでもよいのではないかと思う。
 その人の全身写真が入り、三段組みで書かれたインタビュー記事が、全部で4頁。これが基本的に繰り返される。時折、対談的に、数人が話している様子の記事もある。そのときには、比較的益城町全体に関わるような内容の話題が多い。
 町の写真も時に集められており、そこにこめられた人の心というものが、否応なく伝わってくる。
 2016年4月14日、それは来た。私は塾で中学生の授業中。突如として教室にわんわんと鳴り響いた携帯電話のアラート。急いで机の下に生徒を潜らせたら、揺れが来た。福岡である。熊本ほどの揺れではないにしても、かなりの揺れを感じた。震源に近い熊本の震度7という大きさは、甚大な被害をもたらした。
 しかし、本書の証言から分かるのは、14日の揺れを誰もが「前震」と呼んでいることだ。ショッキングな揺れだったし、被害も出た。人々は被災者となった。だが、その2日後、同じ震度7が来た。こういうことは、記録にある過去の地震では例がなかった。普通なら、余震と呼ばれるもののはずだったが、こちらの方が、被害が多かった。それというのも、最初の震度7でぐらついて、かろうじて壊れずに済んでいた建物が、次々と潰れたケースが目立った。こちらの揺れを、地元の人は「本震」と呼ぶのだった。
 10年という区切りのためか、マスコミも、この4月のときには多くの記事を流していた。印象的だったのは、東北や沖縄の新聞が、幾度も大きく取り扱っていたことだ。特に東北仙台では、東日本大震災の傷が癒えているのではないと思われる中、熊本の痛みというものを敏感に感じて、人々の思いや復興への道などを、親身になって考えていることがよく伝わってきた。
 日常が突如壊れたあのとき。翌日開店を迎えていた、というような人の声が複数あったのには驚いた。古い家をその後もう取り壊そうと家族が言う中で、ドタキャンの如く、それを遺そうと言い張った父親の話もあった。職務のために四日間寝ていない、という信じられないようなことを語る人がいた。地元のために何かしたい、と生き方を決めた人は少なくなかった。打ちひしがれた中で病院を建て直した人もいた。
 特別な人が集められたわけではない。語りたくなかった人も、陰にはたくさんいただろう。幾らかでも、明るい口調で話せる人が、この表に出たのかもしれない。背後にいる辛い人のことを想像しつつ、この希望を語る人々の声を、できる限り受け止めたい。
 ささやかながら、私もそんな人たちの話を聞きに益城町に足を運び続けた経験がある。何ができたわけではないが、話せる場を提供した。仮設住居の方々が集まった。そのとき、苦労話をわざわざしようという人はいなかった。零れることはあったが、日常のことをわいわいと話し、見えない明日のために今日を立ち上がることが精一杯だったとしても、構わないようなひとときがそこにあった。
 そういう益城町の人たちを見ているから、本書で語る益城町の人たちの声も、何かしらリアリティを以て響いてくるのだ。共鳴するところがいくらかでも分かるような気がするのだ。
 ぜひ手に取って戴きたい。読者の足元にも、明日へ導く灯が備えられることだろう。




Takapan
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