本

『西田幾多郎随筆集』

ホンとの本

『西田幾多郎随筆集』
上田閑照編
岩波文庫
\650+
1996.10.

 高校の倫理で必ず登場する、日本を代表する哲学者。京都に住んでいたときには決まって南禅寺近くの琵琶湖疎水沿いの散歩道を利用し、歩いている中で思索を重ねていたというために、「哲学の道」といい、観光客がごった返すような場所になってしまった。
 矛盾的自己同一というひとつの視座から、仏教思想と西洋哲学とを融合することを目指していたその哲学は「西田哲学」という名を以て呼ばれるようになった。弟子たる立場の哲学者も多く、本書にもその名が幾人も登場する。
 本書は、そうした哲学者として難解な思想を集めたもの、というわけではない。西田哲学には凡そ理解がないという人にこそ、読んで戴きたいものである。
 まず回想話が続く。そこには、高校時代の思い出がふんだんに語られる。西田は選科出身である。当時、これはエリートから外れた二流の学生であった。これだけの思想を完成した哲学者が、ちょっとした落ち零れであったということは、慰めを与えるかもしれない。その若い日々の様子が語られる文書は、西田のいわば生々しい呼吸を伝えるようなものがある。故郷のことや、住まわった土地のことなども、目に浮かぶように話す。学生時代がどうだったか、これは案外史料としても価値があるのではないか。
 同郷の、あるいは学生時代の、同級生や友たちがたくさんいる。しかし西田は太平洋戦争末期に亡くなっており、75歳と長生きしたほうであるため、そうした友人などの追悼文書を多く遺している。人物の思い出話も含めて、こうした文書が、本書には集められているる交友関係もさることかながら、ひとに対する思いの篤さというものが伝わってきて、人間味あふれる感情豊かな人であることを感じさせる。
 ただ、これはEテレの「100分de名著」で『善の研究』が取り上げられたときにも紹介されていたが、家族を喪う悲しみが西田の生活を重く支配していた。小さくして子どもに死なれるというのはたまらなかっただろう。成人してからでも、親より先に死ぬというのは、親として格別の悲しみがあるものである。本書でも、ある人への手紙に、7人の子のうち4人まで先立たれたということを悲しく告げている。それは西田が世を去るほんの4か月に亡くした長女に関する手紙である。
 哲学的な内容の文書もあるが、いずれもちょっとした原稿であり、短い。そして、思想内容を掘り下げるというよりも、ざっくり述べているので、非常に読みやすい。また、西田自身、数学にするか哲学にするかと悩んで結局哲学を選んだということのゆえに、時折数学についての話も出て来る。この数学への関心というものは、西田研究のときに外してはならないと私は思うのだが、案外軽視されているように思われてならない。
 文学や芸術への関心も深く、随想部門に多く収められている。多くの領域から刺激を受け、えらく感心したり感動したりという様子も見える。聖書にも大きく心を動かされていることが何度か記されていて、思想という点では良い意味で貪欲だったのだろうと思わせる。短歌の趣味もあり、また日記も一部ここに掲載されている。実に簡潔な、凡そ日記とは呼べないようなものであるが、参禅したり読書したり、誰それが訪ねてきたり、そんなことが書いてある。最後には書簡が紹介されている。ほんの一部であるが、宛名は名だたる人々である。その多くの人の本を、私でも読んだことがあるという具合だ。
 軍や戦争についても、的確な判断がなされている場面があり、いまのように戦争が悪だというような考え方はしていないものの、日本の降伏は最後覚悟していた様子だ。そして、日本が世界に対して開かれていくのでなければならない、と漏らしている。日本文化やそこからくる思想は、きっと世界に貢献するものであろうという確信があったものと思われる。
 このように、西田幾多郎が、生活感覚において、どのように世の中を見ていたのか、自分と向き合っていたのか、非常に人間らしい角度から見たものが、ふんだんに溢れている本である。文庫として手に取りやすく、ちょっと西田幾多郎に関心があるという方は、著作よりも、本書のようなものをまず読むのがよいのではないか、と思った次第である。




Takapan
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