本

『ニッポン在住 ハーフな私の切実で笑える100のモンダイ』

ホンとの本

『ニッポン在住 ハーフな私の切実で笑える100のモンダイ』
サンドラ・ヘフェリン原作
ヒラマツオ漫画
メディアファクトリー
\997
2013.9.

 販売実績としても好調な、コミックエッセイのひとつ。普通の本のようだが、中身は殆どすべてがマンガである。とはいえ、各話題に短いエッセイそのものもあり、果たしてどちらが中心なのか、というふうに考えると微妙でもある。マンガは読みやすいし、その勢いで文章も読みやすくなる。もしこれが全部文章だったら、手に取る人は確実に減るだろう。書き込みすぎないイラスト風の数頁のコント風ストーリーと、補足的な四コママンガが二つ、そしてエッセイという構成でそれぞれのテーマが進んでいく。いつからどこから読んでも読みやすい、本に馴染まない人にも読めるように工夫された構成である。それだけでも、なるほどと唸ってしまいそうだ。
 ところで内容は、いわゆる「ハーフ」の立場で生きることのエピソードで埋まっているという、ただそれだけのことなのだが、私はずっと考えさせられ続けていた。いや、確かに「笑える」し、そのように描かれているのだが、そこには自然と差別している自分がいることを感じさせられ、また、アイデンティティとはなんだろうという問いかけが与えられたのである。また、そうなると「国」とはなんだろうというところにも考えが及ぶ。
 いや、堅苦しい印象をこの本に付与してはならない。これはやはり楽しいものである。楽しませてくれる本ではある。まずそれは強調しなければならない。
 著者、いや原作者は、ドイツと日本の「ハーフ」。近年「ダブル」という呼び方も優勢だそうだが、その点も説明しつつこの本では「ハーフ」という呼び方を採ることが告げられて本は始まる。しかし一言で「ハーフ」と言ってもいろいろある。原作者は、ドイツ語も日本語もできる。だが、どちらもできるようになるためには、その親の育て方、つまり言語習得にあたり子どもが混乱しないような配慮と実践が必要なのだと教えてくれ、ほんとうにそうだと思わされた。そしてまた、生育環境により、顔立ちと使用言語や文化にも、様々なスタイルの「ハーフ」がいることがマンガの中で分かった。その友達の中には、外見では欧米人であるのに日本語のほかさっぱり分からないという人がいて、その苦労も描かれていた。
 また、最も心に残ったのはこの事実である。日本人からはドイツ人だと見られ、ドイツ人からは日本人だと見られる立場の苦しさである。つまり、人は、自分と違う点を強調して見るものだという指摘である。私は、できるだけ同胞寄りに人を見るように心がけている。最大限、同じ人間じゃないか、というところまで拡げる気持ちはもっている。だが、咄嗟の場合、あるいはほぼ本能的にはどう思うのか、そこまでは自信がない。やはり、これは違うタイプだ、というところからスタートしてしまうのかもしれないと思う。
 こういう立場に立たされた運命の「ハーフ」の方々は、それを背負って生きている。だから、「祖国愛」ということになると、どちらの国からも一歩身をひいて眺めるようなところがあるのだという。また、それを何らかの良い点だとして捉えようという視点を、マンガの中から私は感じた。
 これは、他人事ではない。神の国と地上の国との二重国籍をもつクリスチャンにも、どこか類似の立場や視点があるように思えてならないからだ。もちろん、だから「ハーフ」の気持ちが分かるとか、その苦難はなんでもない、などと言うつもりはない。違うと言えば全く違うものだ。この場合、次元が同じところでの二つの国という点ではっきり違うのだから、見方もきっと全然違うとすべきだろう。しかし、十分参考になる。
 というわけで、これは面白かった、で済ませればよいところを、うだうだねちねちと自分に引き寄せて述べるしかなかったが、それがこのコーナーの宿命でもあり、特徴でもあるだろう。ご容赦願いたい。




Takapan
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