本

『日本疫病図説』

ホンとの本

『日本疫病図説』
畑中章宏
笠間書院
\1600+
2021.5.

 もちろん、コロナ禍における関心の中から生まれた本であるはずである。だが、それを強調しているところはない。著者は純粋に、日本における民間伝承を、豊富な写真資料から見せたいという思いのようである。民俗学者として、知るところの多くの歴史的産物を、疫病という観点から一覧してくれている。これはありがたい。日本人が疫病に対して古来どのように考えていたかということを、一目で知ることができるからだ。
 そもそも現代のこの新型コロナウイルスにしても、その正体が曲がりなりにも把握できているのは、この百年の中の科学の発展によるものである。本書発行の百年前のいわゆるスペイン風邪にしても、どうすればよいか分からなかったと言われる。疫病のメカニズム自体が不明だったというのだ。
 まして、それを遡るコレラ、さらにそれ以前になると、はっきりとはしないものの、いま私たちの理解する麻疹や疱瘡が、定期的に流行る恐怖の対象であったようだが、それらについて科学的な原因や衛生観念についてといった知識は、全くないと言えるほどのものだったはずである。
 これを、古代から順に辿ることで、何が見えてくるのか。それは読者一人ひとりに委ねられている。ただ、私の印象だが、古代から近世あるいは近代に至るまで、さして変わりがないような気がしてならない。現代科学や医学とは異なるパラダイムであるからだろうか。
 そこには信仰が関わっている。神仏にすがり、疫病退散を祈る。殆ど言葉遊びではないだろうかと思われるほどのものに対して、病気を散らす働きがあると信じられたものもある。まことに、鰯の頭のようなものであろう。
 スタートは記紀の時代である。仏教が輸入されたとき、それが病の原因だとされたかと思うと、その仏教が次の疫病退散の信仰となってもいる。もちろん、文献記録程度では、それがいまのどういう病気であるのか、確証はもてないが、疱瘡のような感染症ではなかったか、などと学者の間では推測がなされているらしい。
 豊富なカラー写真により、信仰の対象とされた像や絵、また信仰の様子を描いた絵などが、章毎にまとめて並べられている。印刷の都合であることは容易に想像がつくが、その短い解説を見ることにより、通り過ぎた章の復習ができるというのは、案外良い構成であるように思えた。
 祇園信仰も、改めて聞くと、歴史的なつながりや意味合いが知らされ、興味深い。蘇民将来の信仰と、祇園精舎の牛頭天王と習合したことにより、祇園信仰へとつながったというのである。
 その後三大大病とされたのは、天然痘(疱瘡)、麻疹、水疱瘡(水痘)である。前二者は死亡率も高く、様々なまじないの絵が描かれたそうだ。それが次の資料として居並ぶことになる。その中には、源為朝の絵も多い。八丈島であらゆる厄神を退治したため島民から病気がなくなったという伝説に基づくものらしい。絵には細かな文字でぎっしりと由来や効能などが書かれているものがある。疫病の正体も、悪鬼のようなものなど、いろいろに擬人化されて、それを退治する福者が描かれもする。さらに、庶民の生活において気をつけることが戒めのように記述されているものもある。
 なんのことはない。新型コロナウイルスの時代も、殆ど同じである。厚労省のポスターが巷やネット空間に貼られる。例のアマビエは、ここにあるような古くからの日本人の信仰感情と何も違わないと言える。そして特にコロナ禍の初期には、奇妙な予防法などのデマが飛び交った。江戸時代以前の文献にある様子と、いったいどこが違うのか、私には判別できない。
 終わりの方では、郷土玩具の中に残る過去の疫病との闘いや信仰がまとめて紹介される。そこに現物の写真あるいは絵として並ぶのは、昭和の産物である。
 そして満を持して、「予言する妖怪たち」と題した最終章で、アマビエが出てくる。似たコンセプトで紹介されるのが、これもコロナ禍初期にザワついていた「アマビコ」である。著者は、資料からして、「アマビエ」は「アマビコ」の誤記だろうという意見を述べている。たぶんそうだろう。アマビエは、豊作と共に疫病が流行るから、自分の絵を写して配れと予言し警告したのだそうだ。他にも、予言をする妖怪はいくつかいるという。先行き知れぬ疫病の蔓延の中で、この先どうなるかの不安に応える、何か権威ある言葉が欲しかったのであろう。
 これもまた、現代から消えているようには思えない。私たちは、政府の新型コロナウイルス対策分科会の「予言」を期待しているのだ。それでも信じられないから、ワイドショー番組にゲスト出演する専門家という人の言葉を予言として待ち望み、へたをすると素人のコメンテーターの言葉を崇めさえしているのだ。さらにそうした言葉を拡散したり、素人自らが実は俺は物知りなのだと言わんばかりにデマを流したりしているが、一体どの予言を信じてよいのか却って分からなくなってきている。
 最後には、疫病に関する祭りが紹介された後、明治期のことが少しだけ触れられるが、これも大昔からの日本人の疫病観と殆ど違わないことが分かる。そうして現在もなお、そうなのではないかというようにも思える。確かに科学的知識は増したが、構造的には同じようなものだと感じるのである。本書は、さしたるまとめもなく、あとがきもない。読者は資料の山をくぐり抜けた後、放り出された形である。ここから先は、どういう疫病観をもつものか、私たちが考えねばならないと告げるかのように。私たちが、今度は問われているのである。




Takapan
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