本

『新装・日本型食生活の歴史』

ホンとの本

『新装・日本型食生活の歴史』
足達巌
新泉社
\2100
2004.4

 歴史に描かれるのは、とびきりのヒーローであるものだが、歴史に残らない人々の方が圧倒的に多い。では歴史はそのどちらが主に築いてきたのだろうか。確かに徳川家康はその後の歴史を大きく変えたわけだし、日本の運命を握っていたことになるのであるが、家康ではなかった千万単位の人間を考慮せずして日本が語れることになるだろうか。この国の過去を支えてきたのは、無名の数え切れぬほどの人々なのであった。
 彼らは、あまりに日常そのものであったゆえに、記録に残されることがなかった。それは、私たちも同じである。日記に何か書くとすれば、毎日繰り返されること、ルーチンワークとは異なる、突出した事件を書くはずである。朝目覚めて布団を出て歯を磨いて……などと書く日記はないだろう。だから、朝晩食べるものが何であるかを平生気にしているということは、まずありえないことだと思う。
 しかし、私はどうも引っかかりを持っていた。自分を取り巻く食生活がたしかに変化しているということに。どうして誰も言わないのだ。こんなに食生活が変わっているが、問題はないのだろうか……。
 もちろん、誰も何も言わなかったというわけではない。しかしその警告が強くなることはなかったというふうに考えられ得るような気がする。
 仏教の輸入において、日本は肉食を離れる方向性ができた。それがキリスト教伝来のとき、肉食が奨励され、鎖国の完成により再び肉食を離れた食文化が築かれたのだという。そして明治維新と共に、食生活の大きな変化が起こったというのである。
 毎日当たり前のように食べているものが、実はいつの時期に日本に伝わったのか、十分に考えるスペースが与えられている。その伝来の地の名前を付けた食物もたくさんあることに気づく。カボチャ・ジャガイモ・サツマイモ……。身近な野菜などの食品名を掲げることにより、幾らかでもそこに歴史性を体験することができたらいい、と思う。
 この本は、元来1993年に出ていたものを若干新しい資料に改めたものだという。歴史書はかくして度々の変更を必要とされる場合がある。
 ますます生活習慣病は猛威を奮い、熱量摂取のしすぎだとの非難も受ける。筆者は、なんとかこの状況を打破できるはずだと考えている。和食の復権を、かなりの熱意と共に叫んでいる。その口調は、どこか宗教的色彩を帯びているかのように響くため、とくに末尾の方を読むときには注意が必要である。少し距離を置いて読むのがよい。
 それにしても、私たちが日常食べ続けているものの中に、たくさんの秘密や知恵が隠されていることには驚く。ただの蘊蓄のためと割り切っても結構。私たちは日常の食べ物にどれほどの注意を払っていたのか、怪しくなる。あまりに無頓着であることの裏返しが、やたら特殊な食の健康ブームである。食生活は、一夜にして劇的に変化するというものではない。食事は、私たちの体を作る。食事は、思考する私の肉体を確実に引き受けてくれる。ふだんは意識しない、食べ物という、生きる人間全員に関わることから、世界を眺めてみるというのは如何だろうか。その意味では、たいそう興味深い本であったと思う。




Takapan
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