本

『日本語の発音はどう変わってきたか』

ホンとの本

『日本語の発音はどう変わってきたか』
釘貫亨
中公新書2740
\840+
2023.2.

 中学生に国語を教えるとき、実は私はごまかしている。古文に最初に入るときに、歴史的仮名遣いと現代仮名遣いとの変換について教えるときだ。福岡県は必ずこれをひとつ出す習慣であるし、そもそもこれなしでは古文を読むということは不可能である。私などは、かつて国語教師であった母が、時に万葉仮名を使うこともあったせいもあり、旧字体や古い言葉については、生活の中に常に近くにあったから、さして違和感を覚えはしなかった。だが、いまや夏目漱石が古典となる時代であるし、「うなじ」も「かもい」も「えんがわ」も分かってくれない、という子どもたちを相手にしなければならない。受験を目指す子どもたちは、ルールを教えると、まるで数学の公式のように覚えようとする。それはそれで仕方がないかもしれないが、そのルールたるもの、実に曖昧なのである。つまり、とてもルールとしては私は教える能力がないのである。
 もちろん、efu→you といったルールがあるにはある。しかし、それを理解するよりは、たぶん、慣れたほうが早い。本書は、「「てふてふ」から「ちょうちょう」へ、音声史の旅」という副題を表紙に掲げている。これは多くの人の疑問のひとつなのだろうから、この見出しは悪くはない。ところが、本書は、もっと根本的な、文献に基づくお堅い内容なのである。
 旧約聖書には詩編というのがあり、歌詞であろうということは間違いないとされる。だが、録音機も楽譜もない時代のこと、それがどんなメロディにのせて歌われていたか、分からないのが悔しいものである。日本語の、特に「発音」に的を絞った本書が、如何にして「発音」を明らかにしてきたか、そこに興味が湧かないだろうか。
 たとえば万葉仮名の問題が初めに示される。中国的な発音を、まるでアルファベットでローマ字式に綴るように、漢字を用いてやまとことばを記している。それは、若干の解釈の余地を残しつつも、恐らく読み方としてはすっかり把握されているはずである。そのとき、同じ「い」にしても、使われている漢字が多々ある。漢字の数は半端なく多いのだ。しかし、その漢字にしても、何かしら使い分けられているということが、研究者には分かってくる。絶対にこの語には、この漢字は使わない、などというように。
 その理由は、発音が異なるからだ、というのが本書のスタートとなっている。どうやら、母音は古くは八つあったらしいという。奈良時代まではたぶん、かなり分かれていただろう、とそこから結論する。ところが平安時代になると、平仮名の出現もあり、音便などが豊かになると共に、次第に母音が統合されていくきっかけができていたようだ。しかし、表記そのものとしては、鎌倉時代まで、だいたいつながるルールが通用していたらしい。
 私もどこかで聞いた。室町文化は、現代の基本である、と。だから、タイムマシンがあって過去の人と話をするとしたら、室町時代の人となら、かなり話せるのではないか、というような卑近な説明を、子どもたちにもすることがある。
 本書は、その一つひとつの論拠を、かなり綿密に紹介する。恐らく、新書であるのに、1頁の記事をつくるのに気の遠くなるような時間を費やしたというのは、本書くらいのものではないか、と思ってしまうほどである。
 この室町時代であるが、応仁の乱が日本史を二分した、という印象を私はもっている。京都のお年寄りが、「先の戦争で京都は……」と話し始めたとき、よく聞いていくと、その戦争とは応仁の乱のことだった、という笑い話があるが、故無きことではないのである。応仁の乱の後、私たちの眼差しはどうしても、戦国時代の物語に向かっていく。だが、このとき日本語にも、現代に流れていく大きな変化が起こっていたようなのだ。
 とはいえ、当面は混乱期である。不安定なのである。それが分かるのは、当時西洋人が日本に来たことによる。彼らは、日本語を知るために日本語を探究する。そして辞書をつくる。『日葡辞書』なるものを岩波書店が出したとき、かなり注目されたものである。これによると、当時日本人がどのように発音していたか、相当はっきり分かることがあるのである。
 本書は、日本がどうしてジャパンなのか、という点についても、簡潔ながら、説明を施している。中国では「日」を「ジツ」のように発音していたことによるのではないか、というのだ。マルコ・ポーロの有名な『東方見聞録』は、中国人の知識がかなり助けになっている。そこで「ジッパン」のように「日本」が読まれていたか、そう聞き取ったか、ということのようだ。しかもマルコ・ポーロの場合、「ジパング」である。鼻濁音もあったのかもしれない。もちろん、事態はこんなに単純ではない。興味をおもちになったら、ぜひ詳しく調べて戴きたい。「J」は元々「I」と同じであったから、ドイツ語のように「ヤーパン」と呼ぶにしても、この路線から外れるものではないことも、念のため言い添えておくとよいだろうか。
 巻末の「おわりに」では、この本が「八世紀から十八世紀までの、千年以上にわたる日本語の歴史的音変化をたどってきた」ことを告げる。本論の終わりのところで、ちょろりと、いまの五十音と表記が決められた経緯を、大いに端折りながら触れてあったが、これはぜひ、その点を次に教えて戴きたいと願うしかない。いまなお「ぢ」と「じ」についての、太平洋戦争後の、ある意味で恣意的なルールづけが、子どもたちには教えにくいのである。「ぢ」は基本的に「じ」に換えるというルールがある。但し「鼻血」は「血」の意味を保つために「ぢ」と書く例外的な規定がある。「小包」も「づ」を使う。では、「地震」がどうして「地」という意味を保っているように見えながら「ぢ」ではなく「じ」と書くのか、私はいつも説明に困っている。
 著者のご専門は、古代から近世までであるかもしれない。ではどなたか、明治以降の表記の変遷について、教えて戴けないだろうか。本を朗読するか黙読するか、という視点も、明治あたりから変わってきたという話も聞いたことがある。言文一致の問題もあるが、たとえば芥川龍之介を見ても、いまの私たちとはそうとう違う、カタカナによる外来語表記が目立つ。こうした点についてご存じの方がいらしたら、優れた教養書をご紹介してくださらないだろうか。




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