本

『日本語(上)(下)』

ホンとの本

『日本語(上)(下)』
金田一春彦
岩波新書2,3
\940+,900+
1988.1.,1988.3.

 大きな枠で題が付けられている。「日本語」、これはさすがに新書一冊では賄えなかった。上下二冊となったが、それでも問題を広く捉えるために、よくぞこれだけ簡潔に説明できたものだ、と驚くばかりである。それも、ハッとすることばかりである。
 塾で、小中学生に国語を教えることがある。その参考にでもなれば、ということで手に取ったが、どうしてどうして、読んでいくと本書の魅力にすっかり取り憑かれてしまった。さすが金田一春彦氏である。あの穏やかそうな笑顔を頭に浮かべつつ、楽しんで読ませて戴いた。
 自分の母語である。それは自分にとり、あたりまえのものである。そして自分は、その母語を使って思考するのであり、感情もこの母語で表現する。それは逆に、この言語によって、私の思考や感情が決められてゆく、ということを意味する。それは絶対的なものであり、それがいわば自分にとっての世界の全てである。
 だから、それを相対化することができるとすれば、外国語との比較によるものが通例である。英語を学ぶことにより、日本語にはこのような特徴があるのだ、と知ることができるのである。しかし、日本語で、その日本語自身について説明する、というのは、自己認識のように、困難を窮めることではないだろうか。それをここでやっているという意義を、改めて感じるものである。
 世界のなかの日本語について、まず指摘される。また、発音、語彙というふうに、一つひとつの言語の側面が検討される。簡潔に、しかし実例を挙げながら読者を導いていくその手腕には、ずっと感動しながら読んでゆく。
 しばしばここに「学校文法」という言葉が飛び交う。私は曲がりなりにも教育現場にいるゆえ、国語を教えるときには、当然その「学校文法」に基づいて説明する。それは、終戦の年に亡くなった国語学者・橋本進吉の学説に基づくものであり、よく「橋本文法」とも呼ばれている。学校の現場で様々な理解が混ざると、学生は混乱するから、一つに定められているのは適切であると言えよう。だが、学校から出て、より広く日本語というものについて考えるときには、それとは異なる文法理解がいろいろあることを知ることになる。だから、本書もその広い世界での視野から、日本語文法を扱うことがあるわけである。それでも、「学校文法」とわざわざ言うことによって、一般読者が馴染んでいる文法理解と比較ができるように配慮されている。私も、その意図が分かっていたにせよ、やはりふだん教えていることに別の側面があることを、本書から度々学ぶのであった。
 子どもたちにふだん話していることについて、もしや門外漢の私は、とんでもない誤解を教え続けてきたのではないか、と案じることがある。だが、漢字について、その文字としての特異性が下巻で語られているのを見たとき、少し安心した。まんざら嘘ではなかった、ということを知り、ほっとする。しかしもちろんプロではない私であるから、たくさん知らないことがある。アジアの言語の中に、日本と同様に得意な文法があるとか、東欧にこうした特別な文法構造をもつ言語があるとか、そうした細々と書かれたことは、たいへん勉強になった。その具体的な事例については、直に本書に触れたほうが絶対に楽しいので、関心がおありの方は、これは面白い、ということだけお伝えしておこうと思う。
 そうした世界各地域での言語の不思議さという点では、名詞の「性」は確かに特徴的であろう。もちろん日本語にはそれがないが、世界においても苦労する場合がある例なども紹介されている。その他名詞については「数」や「数詞」が、日本語で複雑な点がある。それぞれ、コンパクトに端的に説明がなされており、迷いなく記されているのが、読者としてはありがたい。動詞では「テンス」と「アスペクト」という点が、西欧語を学んでいると理解の鍵になることがあるが、日本語の助詞や助動詞が、実に多彩な活躍をしていることを認識できて、目が覚めるような思いがした。さすがにそれは「学校文法」で教えることはないからだ。
 日本語に対しては、何がどうとか悪口を言うことが好きな人もいる。論理的ではないとか、主語が曖昧だとか、軽々しく言うことがあるが、それはちょっと英語を囓っただけの者が、思いつきで言っているに過ぎないことを、本書を読んで知ることともなった。むしろ、西欧語で構築された現代文明が、西欧語では欠落した欠陥を有っているのではないか、と強く思わされるようにもなってきたのである。日本語の特徴は、日本人のものの考え方を規定する。それを美化しすぎるようなことはしたくない。だが、卑下する必要もないだろう。他者への配慮をふんだんに生かす言語活動は、思いやりや共感に満ちているとも言える。世界に必要なのは、いまそういうものではないのか。
 言語によって、ひとは思考する。感情もその言語で表現する。奇妙な「あたりまえ」を廃して、また自分本位の「思い込み」に気づいて、私たちは、言語を通して、「平和」への道をつくることができるのではないか。そのような希望を私に抱かせてくれる本であった。




Takapan
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