本

『「新しい戦争」とメディア』

ホンとの本

『「新しい戦争」とメディア』
内藤正典
明石書店
\2,600
2003.4

 リテラシーという言葉がある。溢れる情報を、どのように受け止め利用するかという能力をさす。これからの時代に特に大切な観点だと言われている。新聞は、権力を監視する役割を十分果たしていると、通常日本人たちは信じているが、実際どうなのか。著者は、イスラムを理解する一学者として、社会学を研究する。一昨年の9・11のテロ事件以来、新聞が何を語っているか、膨大なデータベースを使いつつまとめあげた。その観点の健全さに、驚く――というのも、私が常々考えていることであり、しかもそういう内容を新聞が語ることがなかった、つまりマスコミでは伝えられていなかったからである。新聞は、たんにアメリカの発表を受け入れるだけの、権力の手下となっているばかりだ、ということを著者はこの書で暴露しようとしているのだ。
 著者は現在、一橋大学の社会学科で活躍中。ゼミの学生たちと共に、この本のテーマを研究し続けている。従って、若い眼差しによるレポートもこの本には記録されている。
 ある学生は、在日ムスリムとの対話を通じて、日本のマスメディアの無知や偏向ぶりをまざまざと自覚する。インドネシアの職人は、送られてくる情報に、それでいいのか、と問い直し自らの意思で選択することのない日本の情報社会に疑問を呈している。それでいて、ムスリムたちへの偏見ともいえる報道に対しても、今まで無関心だった日本人が、イスラムについて知る場が増えたのは感謝だ、とさえ述べている。そもそも、ビン・ラディンがあのテロの首謀者だという「証拠」はどう示されたのか。アメリカはそれさえも明らかにしないままに、今日まできている。また、イラクの核施設についても不明のままだ。日本もアメリカの傘下にあるがゆえに、そうした矛盾を矛盾として問うことさえなく、イラク国民の殺傷と混乱に対して責任感をもつこともない。違う文化とのつきあいが苦手なのは、どうやら日本人だけではないようだ。アメリカもまた、自らを神の代理人としてその正義に満ちた役割を寸分たりとも疑うことがない。しかしムスリムは、「罪のない人間を犠牲にすることを巨悪と信じている」のである。
 この本は、イラク攻撃以前に脱稿されているが、その後の展開に対しても何ら修正を必要とするところのない考察・予見となっているように感じられる。朝日新聞のように、この戦争をどうしても宗教闘争に仕立てたい人々もいる。産経新聞のように、イラク攻撃は全面的に善だという人々もいる。だが必要なのは、異なる文明の間での「対話」であることを、私たちはこの本からの訴えとして聴く。いや、聴かなければならない。これは、まれに見る良心的な本であったように思う。
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