本

『新実存主義』

ホンとの本

『新実存主義』
マルクス・ガブリエル
廣瀬覚訳
岩波新書1822
\800+
2020.1

 そう言えば世界的な哲学者として誰もが注目する人、というのが近年不在であった。サルトルの後、誰がいただろうか。特殊な分野での哲学者はいたかもしれないが、正統派の哲学というあたりでは、大きな影響を与える人物がいたようには見えない。その中でもしかすると、いま世界で一番影響力をもっている人が、評は様々ではあるが、このマルクス・ガブリエルであるかもしれない。
 その立場が、本書のタイトルそのものである「新実存主義」。心がモノのようにあるのではなく、精神は自由なのだと叫ぶ、1980年生まれのドイツの大学教授である。先に『世界は存在しない』でちょっとしたブームになり、私もすぐに読んだ。きっと語りはうまいのだろうと思う。ただ、様々なことを述べようとする中で、ズバッと斬り込むものを強く感じることがなかった。この人はつまり基本的にどういう見方をしているのだろう、というのが、浅はかな私にはすぐには読みとれなかった。
 その時には、新しい実在論というのが、触れ込みだったように思う。私たちは、あまりに素朴に、「世界」という語を使い、話をしている。時に、人それぞれに世界がある、などと言うし、また、人間が現れる前の世界、などとも言う。そうだろう。しょせん人間が、その都度、これがこういう意味の世界だ、と呼んでいるに過ぎないのではないだろうか。こんなふうに見てみると、カントを思い起こすことができる。そう、カントからシェリングへ続く中で、ガブリエルは思考を鍛えている。
 そして今回は、実存主義という20世紀にもてはやされた思想を、新たな地平で語ろうとする。最近しばしば、脳の研究が進んだことから、心の問題を脳から解き明かそうとする試みが強調される。神経系の物理的な働きが心を生んでいるに違いない、などという議論があり、そのメカニズムまで説明するものがある。脳科学を根拠として心を説明し尽くそうとする勢いの中で、ガブリエルは心に注目する。科学を尊重しないわけではない。科学は科学だ。だが、科学の説明に還元されてしまうということでよいのか、そうではないだろう、と斬り込むのである。
 編集は、ジョスラン・マクリュールという教授で、ガブリエルと近い世代の人である。物理的な説明で心を解明しようとする試みに待ったをかけたい意味では、ガブリエルと同じだという。自然科学を無視したり、過小評価したりすることはもはやできまい。しかし、それを理解すれば人間の心や行為について知ったということにはならない、とするのである。
 本書は、この冒頭の序に始まり、ガブリエル自身が、新実存主義について解説を施す。なにも心というものがある、というような言い方をするものではない。心は、ここにある、そこにある、という仕方で存在するものだとするべきではないだろうからだ。しかし、そこにある自然のものとの関係を、私たちは常に新たに問うていくことができる。これを制限してはならないのだろう。
 この後、チャールズ・テイラー、ジョスラン・ブノワ、アンドレーア・ケルンという大学教授たちがガブリエルの考えに対して批評を行い、最後にガブリエル自身がこうした4人の論者に回答していくという体裁をとることになる。それぞれの論点に対する回答となっているので、素人にはポイントを捉えがたいが、打々発止の戦いを見守る中で、やはり読者は自分ならどうだろうか、と考えていくべきであろうと思われる。論理と共に、現象や事実をどう説明していくか、そして自分の生き方を引き受けていくのか。実存主義とと名のるからには、自分の生き方を脇へ置いて無関心を装うことなどは、きっとできないからである。




Takapan
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