本

『新しい経営体としての東京大学』

ホンとの本

『新しい経営体としての東京大学』
五神真
東京大学出版会
\2000+
2021.3.

 先般、京大の総長が、最近の学生を憂えて、教育制度に対する疑念から、京大の改革をしているということを熱く語る本を読んでいた。今度は東大版かと言えるようなものだ。やはり総長の執筆である。
 しかし、タイトルには「経営体」とある。学問的な内容というよりも、経営母体としての東大に注目するのではないかという予想はつく。
 国立大学ですら、新たな法人制度の中で改革を余儀なくされ、研究費が従来のようには提供されない事態となっている。21世紀に入ってからその動きが始まり、大学もまた、経営するという言葉をもって挑んでいかなければ立ちゆかないようになってしまっている。その中で、東大はどうしたか。あるいはどうするか。総長としての立場から、大学内部の出来事やプランを、これほど語ってよいのかと思われるほどに語ってくれているというわけだ。
 サブタイトルが「未来社会協創の挑戦」となっている。2015年に総長に就任した著者が経験してきたこと、それは一応の成功を収めているのだろうと思う。だからこその出版なのだ。それは世界を視野においた活動であるべきだし、国際競争の中に置かれたものとして成長していかなければならない。そのとき「東京大学ビジョン2020」と題したプロジェクトを立て、学生の育成はもちろんのことだが、経営の方法も含めて組織的に立ち向かっていくことを始めている。
 それは産業との共同プランも入るし、資産や寄付をもどう活用するか、求めるかということも重大な関心となっていく。債権の利用も当然そこに関係してくる。まさに経営である。著者は物理学の分野であるから、よくぞこうして経営をするものだと驚く。当然経営のプロもバックについているだろうが、研究者としてではなく、経営者としてこれだけの力を揮うことができるという総長の力を、権力と共に、能力という点でも痛感するものだった。
 感じるのは、西欧との比較では、日本の大学は力を発揮できていないところが多いが、東アジアではリーダーシップをとれるのだという気概である。どうだろうか。先の京大総長であれば、学生の能力としては、東アジアの一部の国のほうが日本よりも高くなっているという実情を素直に認め、危機感を覚えている。東大としては、そのような競争的な視点がないのか、それとも日本が優れているに違いないという自負があるのか、よく分からないが、直接敵に世界との結びつきを思い描いているように見える。
 SDGsというスローガンにしても、その軸に沿ってそれを進めていくということそのものを議論することはないように見えるが、京大だったら、果たしてそれでよいのか、というところを問題にしそうな気がする。学的なところに重要性をもつ京大に対して、政治と結びつき、直接国の経済や外交に関わる人材を育て、組織を構成し機能させるというところに使命感をもつ東大との違いだろうか。
 結果として、どちらも必要であろう。だがここで、懸念がある。優秀な学生が東大や京大を目指して受験する。そのとき、東大を目指していた者が結局京大を受験して合格する、というケースはありうることだ。しかしそれでよいのだろうか。偏差値だか、名誉だか知らないが、入れるかどうかで大学を選ぶということは、この場合たいそう愚かなことではないかと思うのだ。官僚的なもの、政治や権力というものに関わろうとするリーダーと、学問そのものに熱い眼差しを向ける知的リーダーとでは、全く違うのではないか。こうして、学問には興味のない学生が京大に現れていくとなると、それは京大の総長が嘆くはずだ、何をやりたいかの目標がなく、研究者として立てない学生がうろうろすることになる。この点は、大学受験というもののあり方を見直さなければならないかもしれない。その大学に入って何をするのか、それを見定めない受験は、大学にとっても、本人にとっても、よくないことなのだ。
 ともあれ、私には縁もないが、馴染みもない東大のことを、いろいろ教えてくれる本だった。




Takapan
ホンとの本にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります